今年2月に始まった、コラムニスト ジェーン・スーさんと、雑談の人 サクちゃん(桜林直子さん)のポッドキャスト番組『となりの雑談』があまりにも良いので、「EP.1はどうだったっけ…?」としっかり振り返りたくなり、文字起こしをしてしまいました。
その中で、個人的にここは印象に残ったなぁ…という「個人的ハイライト」をまとめてみます。
「サクちゃん」って・・・?
番組は、まず「サクちゃんって何の人なんだっけ」という会話から始まりました。
今では「雑談の人」をしているサクちゃんは、20歳になる娘さんがいらっしゃるシングルマザー。娘さんが1歳になるときに離婚をして、またその頃に会社を辞め、自分のお店(クッキー屋さん)を始めることにしたそう。
そのことを「盛大なジャンプだよね!」と、スーさん。
ここから、サクちゃんのちょっと独特な考え方が明らかになっていきます。
なぜ「あれもやりたい」「これもやりたい」という望みを持たないことが当たり前になったのか…という話はまた後の回で出てくるのですが、サクちゃんがクッキー屋さんをやりながら書籍を出版する(「唐突だね」byスーさん)までの話も興味深いものでした。
『世界は「夢組」と「叶え組」でできている』は、2017年にサクちゃんが投稿したnoteの記事で、当時話題になり、その後(ほぼ)同タイトルの本が2020年に出版されました。
「夢組」と「叶え組」
幼い頃から、「夢は何ですか」と聞かれても答えられなかったというサクちゃん。夢を持ってない、やりたいことが「ない側」の人に名前をつけたい、という思いがあったそうで。
子どもの頃からわたしたちは何かにつけて「将来何になりたいの?」と聞かれがちで、そのたびに適当に答えたり、相手の大人が期待するような答えを察してみたり。大人になってからだって、夢や目標なんてない状態の方が普通だったりするわけです。
でも、そうやって当然のように将来の夢を尋ねられたり、本当に「これが夢です」「こうなりたいです」と、その目標に向かってひたむきに頑張っている(ように見える)人に出会うと、「あれ、自分には何か欠けてるのかな」と思ってしまうことも。
本当に、そうなんだろうか?
サクちゃんは、少なからぬ人たちが抱いていたモヤモヤを「考えつづける」ことで言語化し、夢を持たない人=「叶え組」と名前をつけました。
名前がつくまで、無いもののように、あるいは「二級市民みたいに」(byスーさん)扱われていた存在に名前をつけ、「ちゃんとそこにいるし、やりたいことや夢がなくても、夢がある人たちと同じようにこの社会を生きている」ということを「夢組と叶え組」のnoteで書いたのです。そしてそのnoteは、とてもたくさんの人に読まれ、共感を得たのでした。
信じる力と疑う力
サクちゃんは、夢を持たない自分の性質をこのように自己分析します。
「未来がいいものだと信じられなかった」と言うサクちゃんが、「嫌なものすら疑って、いい風に考えていく」という話をした時、この人は一体、ネガティブなのか?ポジティブなのか?と、聴いているわたしの脳内はプチパニック。だけど、すんごくおもしろい人だな、と。そして性質がぜんぜん違うサクちゃんに、いつの間にか共感してしまっていました。
わたしも、例えば「できるわけがない」と言われると「そうかな?」「あなたはそうでもわたしはどうかな?」と(笑)疑うタイプです。
特に育児をしていると何かと型に嵌められやすくて、サイズの合わない服を着せられてるみたいに気持ち悪く感じることが多くて。
「母親は笑顔でいないと」だとか「父親を立てないと」だとか…「母親は家庭優先で」とか「父親は仕事優先で」とか……そういう「古(いにしえ)のどこかの誰かが言っていました…とさ。」みたいな、無責任な、ほんわかとしたものを全部ぶち壊して、ただの「自分そのもの」として生きていきたいと思ってずっと足掻いてきたので、そしてその分無駄な(無駄じゃなかったのだと思いたい)傷をつくってきたので、サクちゃんの言葉に「うんうん、そうだよね」って頷いてしまったんだと思います。
そして最後のサクちゃんの話に、思わず一緒に拳を突き上げそうになりました。
わたしの中にもサンボマスターがいる!と思った方は少なくないんじゃないでしょうか。
「うるせぇ!好きにさせろ!」と(心の中で)叫びながら、今日もなんとか暮らしていこう、と思えた初回の「となりの雑談」でした。