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UCLA卒業式&アメリカでの就職先が決まりました#LA生活26ヶ月目

UCLA卒業式を迎えて

6月の初め、私はついにUCLAの卒業式を迎えた。
広大なホールに響く名前の呼び声、手渡される卒業証書の重み。
そしてその瞬間、過去数年間のすべてが鮮やかに蘇った。初めてLAの地に降り立った日、当初は1年の語学学校だけで終えるはずだった私の旅。

しかし、それはほんの始まりに過ぎなかった。

語学学校で英語を学ぶ日々は、すぐに「これでは足りない」と気づかせた。確かに、英語は重要だけれど、それだけでは私の夢、サステナブルスカーフブランド「ROSEFFY」をLAで成功させるには遠く及ばない。。。

どうしたらもっと自分を成長させられるのか、何ができるのか、焦燥感に駆られながら夜な夜なインターネットで答えを探した。

だが、その道は決して平坦ではなかった。

入国初日のことを、今でも鮮明に覚えている。空港で、なぜか別室に呼ばれ、5時間もの尋問を受けた。理由は未だにわからない。ただ、感じたのはただただ恐怖だった。
まるでこの国に歓迎されていないような、異国の地での孤独感が胸を締め付けた。

そして学生ビザでは働くことができないという現実が目の前に立ちはだかる。
どうしたらこの国で正当にビジネスができるのだろう?その答えは、アメリカの大学を卒業して就労ビザを手に入れることだった。

生まれてから22年間、岐阜の日本語環境で育ってきた私には、海外での生活はまさに未知の世界だった。
想像以上に高い壁。それを乗り越えるため、私はUCLA Extensionを選んだ。

純ジャパニーズの私にとって、授業は最初から難解で、周りの学生が何を話しているのかさえ分からない。焦りと悔しさで何度も心が折れそうになった。それでも、どこかで「ここで諦めたら終わりだ」と自分に言い聞かせ、机に向かい続けた。
語学はすぐに結果が出るものではないけれど、「継続は力なり」という言葉を信じて突き進むしかなかった。

今では、UCLAで出会った友人と週末にPOP UPイベントを独自で開催している。この環境で切磋琢磨できる友人に出会えたことにとても感謝。

就労許可を得るまで

卒業後、私はOPTという1年間の就労許可を手にした。EADカードが手元に届いたときの安堵は言葉にできない。それが、私がこの国で正式に働ける証だったからだ。

しかし、そこからがまた新たな戦いの始まりだった。

200社近くの企業に応募した。大統領選挙が迫り、経済の不安定さが影を落とすタイミングでの就職活動は、まさに厳しいものだった。何度も自分を疑った。「こんなに頑張っているのに、なぜ結果が出ないんだろう?」と。
孤独感が襲いかかり、就活鬱のような状態に陥る日もあった。それでも、どこかで「必ず道は開ける」と信じて続けた。

半年が経ち、ついに理想的な職種に出会った時、心の中で静かに「勝ったああああああ」と思った。長かった戦いに一区切りがついた瞬間だった。

もちろん、これで終わりではない。新しい社会人生活が、私を待っている。

これからは、さらに自分を成長させ、次の夢に向かって歩みを進めていく。


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