【うつ病は財産】⑤感謝と死

ここで付け加えておくべき大切なことがある。
うつ病を克服できたのは、私だからではないということ。
誰にでも備わっている「立ち直る力」と「信じる力」で以って克服することが可能であるということ。

ただ、うつ病には自殺企図がある。
現実問題として、年々うつ病での自殺者は増えている現状があり深刻化している。

私も例外ではなく、幾度も「死にたい」と思った。

この「死にたい」という思いは、朦朧とした日々の中では感じたことはほとんどなく、ある程度、思考や感情が動き始めた頃から感じたのだった。

身体の痛みや苦しみ、辛さに耐える日々。
また、うつ病を克服できないのではないかという強い不安や精神的苦痛の連続。
一度割れそうなくらいの頭痛や動悸、呼吸困難に襲われると、二度と治らないのではないかという深い絶望感に陥ってしまう。

それらから逃れられるのは「死」しかないとさえ感じてしまう…

しかし、生きたいと強く願いながらも死んでいった父の姿が目に浮かび、ふと我に返ることで何とか生きていた日々。
そんな中、私は様々な症状への感謝とともに、「今この瞬間に命があること」へ感謝することを実践したのだった。
父の死は私を救ってくれたのだ。
・・・何とも皮肉な話である.

感謝についての具体的な方法は特にないが、とにかく何に対しても感謝をするのである。

例えば、太陽・空気・水・樹木などの自然のものに対しての感謝。
人間は先ずこの自然に感謝することが大切である。
あって当然と思いがちであるが、人間は自然界の一部であり、これらがあるからこそ生きられるのだ。

次に自分自身の身体についての感謝。
当時の私の身体はあらゆる機能が低下しボロボロであったが、それでも精一杯生きようと何とか動こうとしてくれていた。
また、うつ病になるまでも、私のために精一杯動いてくれていたのだ。
その自分自身の全ての臓器や機能に感謝するのである。

そして、人に対しての感謝。
両親・兄弟・配偶者や友人、職場の人々など、自分自身と関わってくれている方々に対して感謝すること。
人は一人では生きることなどできないのだ。
先ず今、周りにいてくれている人々に感謝をする。

次に過去に関わってくれていた人々にも感謝をすること。
例え、その人々の中に自分を傷つけられたと感じた相手や、赦すことが困難な相手がいたとしても、その人々にも感謝をする。

もう一つ大きな視点で捉えると、自分に必要なものを販売してくれる店員さんやそれらを作ってくれている人々への感謝などもある。
こう考えると、人は常に人と関わり合って生きている。
だから、全ての人々に感謝するのだ。

このように様々なことが繋がり関わり合って「今、この瞬間に命がある」のであり、「あらゆる全てに感謝する」ことが大切なのだ。
この「感謝の心」に気づけただけでも、大きな学びであり財産である。
このように死を目前の体験をしなければ気づけなかった私であるが、人が生きる上でこの感謝の心は必要不可欠である。
この感謝の心を忘れかけると様々なトラブルが起こる要因ともなるのだ。

私はこのことを身をもって感じることになるのだった。
また同時に、「自分自身の心の在り方で自分を取り巻く世界が変わる」ということも理解することになる。

ここまで自分自身に起こる出来事については触れていないが、「あらゆる全て」にはこの出来事も含まれる。
全ての出来事は「心(魂)の成長」に必要なものであり、艱難辛苦のような自分にとって不都合であることに対しても感謝するのである。

そのように感謝する日々を過ごし始め、とても緩やかではあったが身体機能も回復していった。
とはいえ、充分な食事が摂れたり、睡眠が取れたりするまでにはまだ期間が要することとなる。

【うつ病は財産】⑥克服のキッカケ

#創作大賞2022

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