【うつ病は財産】④サイン~感謝

どれほどの朦朧とした日々を過ごしたのだろう…
どれだけ思い出そうとしても思い出せないが、それでいいのだと思う。

以前にも書いたが、先ずは何事にも感謝することから始めた。

体力も気力もない私には、ただ心を使うほか方法はなかった。
というよりは、できなかったという方が正解かもしれない。
しかし、この「心(想い)」こそが何よりも重要で大切なのである。
それを私はこの先、様々な日々の中で強く強く感じることになるのだった。

とかく、人は自分にとって良いことには感謝する傾向にある。
もちろん、以前の私も例外ではなかった。
そして、良くないことが起こると「なんでこんなになるんだ」と何かのせいにしていた。
人や環境、またタイミングが悪かったなどと…

ただ、当時の私は「うつ病になった」ということに対して感謝の言葉は口に出せても、心底から想いきれてはいなかったと今は振り返って感じる。
そのような私であったが、毎日来る日も来る日も感謝を述べ続けた。

動悸が激しくて胸が苦しくなったり、身体の至る所が痛くなったり、頭が割れそうなくらいの頭痛に襲われたり、手足が痺れたり…
そんな症状の時でも「ありがとうございます」と口に出したり、ひたすら想い続けたのだ。

私の身体に出る症状は、私の心から出ている様々なサインである。
当時、私の心に抱えていた感情:執着、頑固、悲観、自己嫌悪、自己憐憫、自責、後悔、軽蔑、嫉妬、罪悪感、絶望、空虚…

私はいつしかこのような感情の塊となっていたのだった。
それらは私の身体に常に緊張を与えた。
そして、遂には心も身体も悲鳴をあげることになる。
私の強張った心身は様々な症状を引き起こした。
それらの症状は私自身への重要なサインであると気づいた私は、限界を知らせようとしてくれている症状に「感謝する」という方法を用いたのだ。

私にこの「何事にも感謝する」というキッカケを与えてくださったある一冊の本が、佳川奈未さんの「すべては必然!」である。
私の心に小さな小さな一筋の「希望のひかり」が射したことを9年経った今でも鮮明に覚えている。

とても温かく愛あるお言葉に救われたのだ。
それからは、あらゆる全ての物事に感謝するということを徹底したのだった。
しかし、私の中に蓄積された感情も緊張もそう簡単に消えることはなく、日々発してくる症状に恐怖感や絶望感を何度となく味わうこととなる。

何事にも感謝すると決めていても、心底想えていなかったり、感謝することで本当に良くなるのかという半信半疑な気持ちを抱えていた時期でもあった。

・・・当然である。

それまでの私は、自分にとって良くない不都合なことに対して感謝をしたこともなければ、感謝することで事態が好転するといった経験がなかったのだから。
だが、ぼんやりとではあったが、この「感謝の心」が当時の私には唯一の救いだった。

感謝には、心に温かさと穏やかさを感じさせてくれる。

藁をもすがる思いとはこのようなことを指すのだろう。
私には信じること、信じ続けることしかなかった。
この経験が、私に「信じ続ける」という心の強さを与えてくれたのだ。

また、これから先の私の人生で必要不可欠な「感謝の心」を養い、どんな困難の中でも不動となる「あらゆる全てに感謝する心」を鍛えられた時期であったと感じている。
何とも有り難い人生経験なのだろう…現在は心底そう想える。

それからが本当の意味での闘病生活の始まりであり、自分自身との闘いだった。

【うつ病は財産】⑤感謝と死

#創作大賞2022

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