【うつ病は財産】⑨決意~社会復帰

私はいつ抜け出せるかわからない暗闇のトンネルを
ただただ「良くなる自分を信じて」一歩ときには半歩と歩いた。

過去は充分に振り返り、充分に悔いた。
その中から多くを気づき、学んだ。
それらはもう充分、自分の中に刻み込まれているであろうと感じ、私は過去に執着し悔いることをやめようと決意した。
その代わり、どうなるかわからない未来だが、私の感じた「ひかりを見続けよう」としたのだった。
しかし、そう決意した私であったが、過去は何度も私の心の扉をノックし、未来に対する不安や恐怖を感じる瞬間も多々あった。

人は強くはないけど、弱くもない。

そんなときには、ただ「今を生きる」ことに集中しようとした。
この頃には少しずつ自分自身をコントロールする術を身に付けていた。

強いストレスがかかり、動悸が始まったり、呼吸苦を感じたり、落ち着きがなくなったりしそうになると、深呼吸をし、呼吸を整え、一旦そのことから離れ、心を平静に戻すことに集中した。
この呼吸法は、この先何度も私を助けてくれた。
そして、とても浅かった私の呼吸は、いつの頃からか、正常の呼吸が 無意識 にできるようになっていた。

このようにして、少しずつ「私」を取り戻していった私は、人生の上でも、また暦の上でも春を迎えようとしていた。

前年の4月の春爛漫の時期に心身の様々な異変を感じ、ジメジメした梅雨の6月のある日にうつ病を診断された私は、父の忌明けを過ぎた9月から約半年もの間、真っ暗闇の中でもがき苦しみ、生きているのか死んでいるのかさえもわからない日々を過ごしたこともあった。

そんな日々の中で私に射した針の先ほどの小さな小さな「ひかり」は、翌年の春には少しずつ大きくなり、私の未来に希望を感じさせてくれた。

そして、幾度も「希望」と「絶望」を繰り返した私だったが、うつ病を診断された1年後の7月には、段階的ではあったものの社会復帰できるまでになったのだった。

実は、少しずつ良くなり始めた春の時点で、一度社会復帰をしようと考えた。
しかし、「急がなくてもいい」という主治医や家族、友人のアドバイスもあり、もう少し時期をみようと考え直したのだった。
その後、私は「焦らないように」と何度も自分自身に言い聞かせた。

一日一日を命があることに感謝し、また周囲の人々とすべてのことに感謝しながら、自分自身の心が感じることを大切にし、ポジティブなことにフォーカスするように心がけた。

私はこのうつ病を経験したことで、生きることの難しさと人生の厳しさを痛感した。
と同時に、人は心の使い方次第で、いかようにも人生を生き直せることを強く実感したのだった。

そして、この当時に身に付けた生きる術や心の使い方は、今後の私の人生を生き抜くためのとても大切な財産となった。

私にとって「うつ病は財産」である。


ここで、私が当時服用していた薬と服用期間を記録しておこうと思う。

ジェイゾロフト:
   抗うつ薬(SSRI) 1日1回夕食後に服用
   服用期間 約3年6か月(主治医の指示のもと中止)

デパス:
   精神安定剤 頓服
   服用期間 約2年(徐々に服用しなくてもよくなり中止)

レンドルミン:
   睡眠導入剤 眠前
 服用期間 約5年(毎日→2~3日に1回になり徐々に中止)


このように記録すると、思っていたより長期間服用していたのだと驚く。
私はうつ病の診断を受け、処方された当初は「薬を飲めば良くなる」と思っていた。

ジェイゾロフトに関していえば、もちろん副作用があることは医師より説明を受けてはいたため、覚悟はしていたが想像よりも辛かった。
しかし、その後は徐々に落ち着くとのことで服用し続けた。
ここで自己判断で中止する方も多いと思うが、私はお勧めしない。

ただ私は「薬はすべてではない」と思っている。

何せ、私はジェイゾロフトを服用し始め、徐々に副作用が落ち着くころに父が他界し、忌明けが済むと更に悪化したのだ。
私の言う「薬がすべてではない」とは、「薬を飲めばすべてが良くなる」わけではないということである。
特にうつ病のような疾患は、「心の使い方」が大きな功を奏すと経験上強く感じている。

薬はその一助である。

うつ病は「心の病」といわれているが、「脳の病気」でもある。
実に心と身体はとても密接につながっている。

薬が治してくれるわけではなく、その助けを得て、自らが良くなろうと強く想い、誰もにある自分自身に備わっている底知れぬ力を信じることなのだ。

初めは花の種のように小さな小さな「信じる力」かもしれないが、毎日少しずつ育てていけばやがてその種は芽を出し、ある日花を咲かせる日が来る。

【うつ病は財産】⑩最後に

#創作大賞2022

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