「ある愛の物語」が生まれるまで
いつもあなたは私の存在理由だった
あなたを愛おしむことは信仰だった
La historia de un amorーーある愛の物語という曲のフレーズです。
誰かを自分の生きる理由にするなんて、控えめに云っても気持ちが悪い。そんな感性の持ち主ゆえこの曲に描かれた世界と無条件に同期できない。
ましてや、信仰対象を失った絶望を全身全霊で嘆くなんてできやしない。この曲はその意味でまったく「うたいたい」にならない類のものだった。
リアリティがなさすぎなんだもん。
なのになぜうたうことにしたかというと、この曲を介してつながれる人が増えるから。全世界、みんなが知ってるスタンダードナンバーのすばらしきことよ。
みんなが知らない大好きな中南米の曲を紹介するのだいすきだけど、知ってる曲を一緒にうたったり演奏したりできるのもまた違った喜びを味わえる。
もとはパナマ人のカルロス・エレータ・アルマランという人の曲。メキシコのボレロで演奏されているトリオ・ロスパンチョスのカバーがたぶん世界でいちばん有名。甘く切なく情感たっぷりにうたいあげる。
日本でも古くからめっちゃカバーされているよ。ザ・ピーナッツ。アイ・ジョージ。水島弘。布施明。ほんとにざくざく。
だけれど、もはや演歌。重い。つらみ。ほら試しに、この本田美奈子のうたごえを聴いてごらんよ。
わたしたぶんこのままのイメージをうたえと求められたら即死。日本ではamorを愛ではなく恋と訳されているし、ほんと別次元にいっちゃっている感。重く切ない恋のストーリーに酔いしれた時代性とかもあるのかな。
そんなわけで、La historia de un amorについては、いかに「うたいたくなる」曲に仕上げていくかの作業を、わりと意識的に行なう必要があったの。
で、具体的になにをやったかというと、
- 感覚に近いニュアンスの演奏を探す
- 演奏の何に心が響くのか言語化する
- 絶対避けたいニュアンスを言語化する
- 歌詞を翻訳し共感できる文脈を見出す
- 自分の体感覚とつながり声に出してみる
みたいなこと。せっかくなので忘備録として順番に書いてみようと思うよ。
感覚に近いニュアンスの演奏を探す
感覚的なイメージをゼロからかたちにできるほどの音楽的能力は、今のところこの身に養われていないため、まずはリサーチからはじめました。目的はベンチマークを見つけること。なにごともまずは、他者から学ぶことから。
真似っこしてまったく同じようにうたうとか、そういうのとは違うんだよね。あくまでも素案づくりの参考にするため。
こころをぐっと掴まれたTonina Saputo のバージョン。
演奏の何に心が響くのか言語化する
Toninaの曲を聴いて感じたことをメモ。嘆きのドラマがない。感傷からの甘さも、依存からの重さも聴こえてこない。逆に静かなちからづよさを感じる。躍動感と温かみすらある。
歌詞は「ああ、なんて暗い人生 あなたの愛なしにわたしはこれから生きていけないだろう」とうたっているけれど、そう云いながらもきっと生きていくだろう予感を覚える。絶望のあとに希望が灯るのをどこか本能で知っている女性のたくましさ。
深く愛したからこそ、しっかり絶望しきることができる。それは相手に自分の存在を明け渡した人の絶望とはまるで種類が違う。
過去のしあわせに執着するあまりに絶望し続けるのか、絶望しきって過去を手放し未来のしあわせを見つめるのか。その違い。
彼女のうたごえを聴きながら、そんなイメージが立ち上がってきました。
絶対避けたいニュアンスを言語化する
絶対避けたいのは、もともとの楽曲が持ってるイメージそのもの。あえて言葉にするとこんなかんじでしょうか。
しあわせはすべて相手からもたらされていたものであり、自分に生きるチカラがないと信じさせるようなニュアンス。過去にとどまり続け、悲しみを再生産させるようなコンテキスト。感傷的。
日本のミュージックシーンで共通言語になっている謎に大げさな「ラテン」のイメージ。恋に情熱的であるに代表されるステレオタイプ。
歌詞を翻訳し共感できる文脈を見出す
ひとの訳した歌詞を見ても実際の手触りがわからないので、スペイン語から日本語へ自分で翻訳してみます。そのプロセスでは、自分のイメージとの接点をどこに見つけらるかも併せて検討します。原文を壊さない範囲でね。
カバーする人によって、スペイン語の歌詞も少しずつ変更が加えられているので、どれを採用するといちばんしっくりくるかも感じてみます。
その作業で見えてきた、大切にしたいふたつの要素がこれ。
- 恋ではなく愛のうたとしてうたうこと。
- 「なんて暗い人生 あなたの愛なしで これからわたしは生きてはいけない」を「ああ、なんて暗い人生 あなたの愛なしに これからわたしは生きていくのでしょう」に変更。※これを書きながら、人生を夜に歌い変えてもいいなとあらためて思いました。
もう私のそばにはいない
愛するひと
魂にはただ孤独だけがあり
もう会うことが叶わないのなら
なぜ神はあなたを愛させたのか
なおもわたしを苦しめるために
いつもあなたは私の存在理由だった
あなたを愛おしむことは信仰だった
あなたのキスのなかに見出していた
愛と情熱が与えてくれるぬくもりを
ひとつの愛の物語
ほかに同じものはない
すべてのいいこと悪いこと
私に深い理解をもたらした
わたしの人生に光を与えた
のちに消してしまいながら
ああ、なんて暗い夜
あなたの愛なしに
わたしはこれから
生きていくのでしょう
いつもあなたは私の存在理由だった
あなたを愛おしむことは信仰だった
あなたのキスのなかに見出していた
愛と情熱が与えてくれるぬくもりを
この訳だけでは多様な解釈を生む余地がまだまだあるけれど、相手への深い愛により焦点があったニュアンスを込められる土台にはなったとかんじる。
自分の体感覚とつながり声に出してみる
ここはまだ言語化が難しいので、いつか整理して書きたいな。
ただひとついうと「体感覚とつながった声」を出すには、体感覚とつながった状態がどういうものかをわかっている必要がある。
そのためには、自分よりも解像度の高いひとに見てもらってフィードバックをもらうこと。その視点を取り入れながら日々観察を続けること。
私の場合はボイストレーナーや整体師、古武術の達人や舞手などの人たちからときどきヒントをもらいながら観察をしています。
そんなこんなで、ライブではじめてうたったときの動画がこちら。
スペイン語で意味が届きにくいぶん、ニュアンスをダイレクトに感じやすいと思うのですが、さて、みなさんにはどんなふうに届くのかしらん。
読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️