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我が子を下げるんじゃなくて、かわいいって言っちゃおう

付き合う人が変わってきたこの頃。


2023年末にパートの仕事を辞めて、はや4か月。
相変わらず、「ある」に注目をしながら専業主婦であることに焦ることも
物足りなさも感じず、淡々と過ごしています。

参観日やら、PTA総会やら、子ども会やらと、子ども関係の人たちといる時間が長くなる機会が多かったこの4月。

気づけば年々ひとりで行動する割合が高くなっている自分に、先日気づきました。めんどくさがりに輪がかかった?それとも単にそこにかけるエネルギーがなくなってきた?それって老化?

これ、数年前までは、どこに行ってもママ友などの知り合いがいたり、群れて行動することで安心していた私からは考えられない変化なのです。

現実から逃げるように、

日々を飽きさせないように、

寂しさを感じないように、

充実しているように、

「知り合いもいない地方にきて、不本意に専業主婦になって、ワンオペで必死だけど、母親生活を楽しんでいる自分」を必死に演出していた気がします(方向は間違っていたと思うけれど、がんばっていた自分は認めてあげたい)。

それが、心地よい友達が何人かいてくれたらそれで幸せ、に変わった今、私も含めそんな友人たちがしている(していない)ことに気づきました。

それは「わが子を無駄にさげない」ということ。

自分の子どもを不本意にもさげていた。

以前の子ども関係のおつきあいの中では「わが子のことは、下げてなんぼ」というような空気が、多かれ少なかれありました。

たまたまそこだけの空気だったのか、他でもそうだったのかは今となってはわかりませんが、そんな空気が私は実は苦手でした。

でも、苦手にもかかわらず、私もやっちゃっていたんです(黒歴史)。

「自分の子どもがかわいいのは誰だって一緒。だからこれは世渡りの術。誰も見ていないところで愛情たっぷりそそげばいい」なんて思いながら。

外遊びよりも、パズルやレゴなどの遊びが好きな息子が褒められた時には「もっと周りのみんなみたいに元気に外で走りまわってくれたらいいのだけど」。

勉強がよくできたことを褒められたら「だけどこの子は運動は苦手でね」。

思いきりの良い性格を褒められたら「もうちょっと先を考えてやってほしいのだけどね」。

なーんて、褒められたことの逆を言うことを、さらっと言ってしまっていました。

周りの人たちの立場や考えを推しはかるよりは、我が子を下げることをすることが一番楽だったし、そうすることでコミュニティで波風たてずにいられることも楽だったからです。

家に帰ると、子どもたちに「大好き!」、「がんばったんだね!」と罪滅ぼしのように言っていたような気もするし(なんて安直なやり方)、

そんなことを言ってしまう自分も、自分の考えをもっていない自分も嫌いでした。

当時の子どもたちに矛盾や戸惑いを感じさせていたかもしれない、と思うと大反省です。

我が子のいいところも気になるところもストレートに言えちゃう関係が心地よい。

最近の私の友人関係はとても狭くなりました。
その友人たちとは様々なジャンルの話をしますが、

子どものことを話すときは、お互いにいいところもそうでないことも、ストレートに話します。そして素直に褒めたり、笑ったりしあえています。

子どもの困ったネタを提供しては盛り上がることもあれば、時には一緒に真剣に考えたりもして、良いところはいい、頑張っているところは頑張っている、ということも話す。

ひけらかすでも、自慢するわけでもなく、大きくするでも小さくするでもなく。

そんな感じでおしゃべりを楽しめる関係が心地よく、ありがたいなーと思うばかりです。

(ここ数年は子ども以外の話も増えました。これは子どもたちの巣立ちが視野に入ってきたからですね~)

もし10年くらい前の自分に会えるなら、

「無理するお付き合いはいらないかも。まずは我が子と自分だけをみていて。そこからだよ!」と言いたいなと思ってしまいます。

常に気をはっていた過去の私が耳を貸してくれるかはわかりませんが…。

「なんだかんだ言って、かわいいよね」。

子ども達が小さい頃から10年以上仲良くしてくれる友達がいるのですが、彼女は相変わらず、子どもやご主人をさげる話をいつも提供してくれます(実際彼女は1人で多くのことを引き受けすぎていてきつそう)。

そんなときは、

「えー、〇〇君、そんなことをしちゃったの?親の気持ちなんて伝わらないものだよね。似たようなこと、うちもあるある!実はさうちの△△もね…

だけどさ!

なんだかんだ言って、いくつになっても、信じられないことをしてくれちゃっても一周まわって子どもがかわいいんだよね。あー、罪深い存在よねぇぇぇ」

と、最後は「でも私たち、子どものことがかわいいんだよね」と笑って終わらせるようにしてみています。

すると彼女も「そうなんだよね、悔しいけど、かわいいんだよねー」と言っていて、最後には「こんな気持ち、あと何分もつかなー?!10分後には消えていたりして!」とお互い笑って昇華させたりもしています。

子どもを下げて終わらせていた時に比べて、はるかに気持ちのよい終わり方です♡


「教科書を買うからお金をちょうだいと当日朝に言ってきたり(こんなときに小銭がない!)、

そんなに遠くない距離なのに「遅刻しそうだから学校まで送ってー」と言ってきたり(あと5分早く起きて!)、

不要になった家具を玄関にいくつも置いたり(外に出られない!)、

毎日つっこみどころに事欠かない子どもたちで、私も時には角をはやし、時にはため息のレベルを超えたため息を吐いていますが、でも、基本「かわいくて大切な」存在であることには間違いない!

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