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日本語ができないと、もったいないか

我が家の子供達は、日本語は話せるが読み書きはできない。

初めから出来なくてもよいと思っていたわけではない。
ただ、バリにある日本語の補習校はうちから車で片道1時間、さらに私は日本の学校のような授業やクラス運営が好きではなかったので、パス。上の子のときは私が教えることも試したけれど、毎回ケンカになるので諦めた。家庭教師をつけても、結局本人が興味を持てずフェイドアウト。

仕方ないと思いつつ、周りの同じ歳頃の子供がいる日本人の中でも私ほど諦めている方は少ないので、焦らなかったと言えば嘘になる。

そんなことで若干悶々としているときに、うちの上の子よりもちょっと年上のお子さんがいる方に「日本語やってないの?もったいない」と言われたことがあった。
あ、なんか違和感あり。
一時期ちょっと日本の文字に興味を持った下の子が、ひらがなを一文字一文字、私に聞きながら何か書いていたら、それをみていた方に本人の前で「使ってないと忘れちゃうね、もったいない」と言われたこともある。
あ、また違和感。

使ってないからじゃなくて、そもそも教えていません。興味を持っているだけでも素敵なことなんです。補習校に行かない時間、田んぼのなかを走り回ってトンボとってサンダルなくしてガムラン叩いて、フルに生きています。うちの子もどんな子も、何も欠けているところはなく、もったいないこともありません。

そもそも、なんで日本語が日本人のようにできるようになって欲しいのか。

例えば夫は日本語が読めないけれど、知識も考える力もある。自分の能力(芸術方面)を100%発揮して、問題なく生きている。
日本語が日本人並みにできて、例えば日本の大学に行って日本語で論文を書いたって、海外でそのまま読んでもらえることはない。
日本語にこだわるのは、親(私)のエゴではないか。
なら、そのエゴはとりあえず前回書いた「親の威厳の確保」までにしておこう。そのためには読み書き能力はとりあえず要らない。

そういえば、私の知人にも大学の教授だったり、外資系銀行のコンサルタントだったり、アーティストだったり、何年も何十年も日本で、日本語ができないまま仕事をしている人がいる。逆に日本が好きで、留学して数ヶ月で小中学で習う漢字を制覇した人もいる。うちの子だって、その気になればやるだろう。なんの心配もいらない。

こうやって、悶々としていた子供の日本語読み書き習得への執着をすっかり放棄したら、もともと少ない育児の悩みがほぼゼロになった。それからもう何年も経ったけれど、相変わらず彼らは彼らなりにフルに生きている。
何も誰も、もったいなくない。

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