見出し画像

そして英語は教えない

子供と言語の続き。

多くの人は、私が英語ができるのを知ると「じゃあお子さんは日本語、インドネシア語、英語の3つできるのですね!」と言う。バリでも日本でも。
いえ、英語はできません。だって、教えてないもの。

そう、私は子供が小さいうちからは英語を教えたくなかった。

理由は、いろいろな言語を扱えるようになるよりも、一つの言語でよいので、それできちんと考える力をつけることの方が大切だと思っているから。

そもそもがバイリンガル環境なので矛盾して聞こえるかもしれないが、考える脳を作るには、どの言語でもよいので自由自在に操って思考できる言語が、まず一つあれば良いと思っている。その際大事なのは、周りの人間、特に親がその言語を同様のレベルで使っている環境にあること。我が家の場合は夫と私でこの言語が違ったのでダブルになってしまったが、ひとつだって全然問題ない。
その証拠に、前にも書いた通り、我が家の子供達は日本語は使う場面が限られていて読み書きもできないので、中学生ぐらいになると思考の内容に日本語の語彙が追いついていない。けれど、バリ語/インドネシア語はほぼ年齢相応に完璧なので、私はあまり気にしていない。

そんなわけなので当然、英語教育も二の次。特に小さい時は敢えて避けていて、我が家は外国からの来客も多いが、子供に英語で挨拶をさせたことさえない。今の時代、なんなら日本語で「こんにちは」と言ったって通じるのだ。ただ、小さい時からルーツや言語の違う人達と接する機会があったことは、とても良かったと思っている。慣れておくことは悪くない。

さて、そんな調子でほぼ完全放置でいたら、どうなったか。

息子は中学に上がった頃から機械系の趣味ができ、それに関することを勝手に英語のyoutubeで見続けた結果、いつのまにかネイティブスピードでも理解できるようになっていた。文法は怪しいけれど、必要なら英語でコメントのやりとりもしているらしい。
そろそろその年頃になる娘も同じく、最近になって急に、好きな海外popsの曲のタイトルや歌詞から英語を拾うようになった。インドネシア語訳バージョンで読んでいるハリポタの小説版も、最終巻はインドネシア語訳が出てなかったら英語で読もうかな、と言いだした。流石に難しいとも思うのだが、好きなら案外読めてしまうかもしれない。

放置した人間が言うのもなんだが、自分の経験から言っても英語はやっぱりできた方が便利だ。なので、この状況は私も当然嬉しい。教えはしなくても敷居を低くしておくことは意識していたので、それが少しは役に立ったようだ。でも、それで本格的に英語を勉強したいと言われてもやっぱり私が教えるのは面倒なので(放置の本音はこれー苦笑)、そうしたらどこかへ留学でもさせてしまおうと目論んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?