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バリに住むきっかけ

自分のことだと当たり前すぎて、こんな話はつまらないかなと思ってしまうけど、他人のそういうエピソードは面白い。なので自分のも書いてみる。

「バリ」という場所を知る前に興味を持ったのが「東南アジア」。
高校のオーストラリア留学時代に、同じ交換留学プログラムでタイやマレーシアから来た子達と仲良くなった。
印象に残っているのはあってすぐの会話。「東京からなんてすごい!原宿は家から近い?」とか聞かれて「原宿なんてどうして知ってるのよ!」とびっくりしたのだ。同時に私は彼らの国のことを何も知らないことが恥ずかしく、そのまま1年後に日本に帰国した後もそれが引っ掛かっていていた。
そしてそれが、日本の高校を卒業後、アメリカの大学でアジア研究学部に入るきっかけとなった。

入ったハワイ大学はアジア研究の授業はもちろん、音楽学部も民族音楽や民族舞踊のクラスがたくさんあって、学部以外の生徒も自由に履修できる天国だった。私は特にジャワとバリのガムラン(インドネシアの伝統音楽)が好きだった。
あまりに楽しくて「いつかバリでガムラン三昧の生活がしてみたい」と思い始め、大学2年目からインドネシア語のクラスも履修して、大学3年目の夏休みに晴れてハワイから直行便でバリへ。(残念ながら、その直行ルートはもうなくなってしまった。)

これが私の初めてのバリ。夏休み目一杯の2ヶ月間滞在で、空港からウブドに直行して安宿に泊まり、観光はほとんどせず、毎日ガムランのレッスン。

ちなみに、ちょうど私がバリに発つ数日前に、大学の友人の婚約者がガムランの講師としてハワイに到着したので、「バリで誰にガムランを習ったらよいか」と相談したら、「弟が教えられるから、バリに着いたら僕の実家に行って」と紹介されたのが、当時、私と同じくまだ音大の学生だった今の夫である。
思えば、その前にもその友人から「婚約者の弟」の話を聞かされていた。なので、バリ初日に出会った夫ではあるものの、これは「運命」というより「ハメられた」という方が正しいと、いまでも思っている。

そんなわけでその後、大学卒業後にまた1年間バリに留学してみたり、日本で派遣仕事をする合間にバリに遊びに来たりして、2002年に夫と結婚。
当初は、夫が海外(アメリカとか)でガムランを教える可能性も模索してバリ以外の場所で一緒に暮らすのも楽しそう、と思っていたのだけれど、夫はバリでないと生きていけないと言うので、それはそれで私は異議なし。
めでたく、バリに暮らすことになったのでした。

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