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値切れなくても大丈夫

東南アジアでは買い物は値切るのが常識。
観光客だってそんなことはよく知っている。

けれどバリ出身の夫は、値切ることをほとんどしない。
お金が潤沢にあるわけではない。値切れない性格なのだ。
それどころか、言い値以上払うことも少なくない。

例えば、上の子がまだ小さかった頃に、揃って市場へおもちゃのバロン(バリの獅子)を買いに行ったときのこと。お店番をしていた木彫りのおみやげ屋さんのご主人に夫が値段を聞いた。そして夫は、「これしかないけど」と財布の中身をほとんどを出して、言い値より少し多めの金額を払った。
他にも、果物をたくさん担いできて道端で売っているおばあさんや、バイクで40分かけて通ってくる大工さんなど、額は大きくないし、誰にでもというわけでもないのだが、こんな調子で言い値かそれ以上払うのだ。

見ていると理由は二つあって、まずは、物の良し悪しの評価自体は厳しい反面、自分が良いと思えば有り金をはたくことを厭わない場合。もうひとつは、「自分だったらこんな薄利でこの仕事は出来ない」と思う場合。
気に入った服や楽器を買うときなどは理由1のパターンが多く、果物のおばあさんは完全に2番のケースだ。(なので、買った果物は必ずしも当たりとは限らない。)バロンと大工さんに関しては1と2のハイブリッドで、仕事ぶりの割に工賃が安いと言って、多めにお礼をするパターン。

どうも夫は、ものを買うときも物そのものの単なる金銭価値より、作っている人や売っている人という「人」に払っている意識が強いようだ。彼の育ったウブドが昔は田舎で物がなく、作り手の顔が見えるどころかみんな知り合いというような環境だったからかもしれない。母親が行商で苦労したのを見ているのも大きいだろう。
とはいえ夫の財布の中身もいつもギリギリなため、払いすぎたりタカられたりすることはなく適度なバランスを保てているのが、不幸中の幸いだ。

多く払うというのは加減が難しいが、私も値切るのは苦手なのでこれ幸いと私も夫に倣い、値切ることのは早々に諦めた。そして、そんなことでは値切ってなんぼというところではボラれ放題になりそうなのが、やってみると意外に大丈夫なのである。

例えばある日、日本の友人にバティックのズボンを買ってきてと頼まれて、ウブドの半分露天のようなお店に行った。インドネシア語で話しかけたので最初から「ローカル値段」と言われるのは、まぁ予測通り。それが1枚15万ルピア(約1200円)だった(観光客にはもうちょっと高い値段を言っていた)ので、じゃあ3枚なら45万、と頭で計算して世間話もしながら選んでいると「12万でいいよ」と勝手に値段が下がる。あら、ありがとう。そして買うと決めたものを渡すと、3枚で30万になっていた。
まぁ、流石にここまで下がることは滅多にないけれど、不思議なことに値段交渉をしなくても勝手に割引されることは珍しくない。

値切るのは上手に買い物をする技術のひとつだし、それが楽しみの人もいると思う。それはそれで良い。けれど、バリ生まれの人でも長年住んでる人でも(=夫と私)、値切れない人もいる。苦手なら無理をすることもない。
欲しいものを手に入れられたついでに、お店の人に「今日は高く買ってくれる人がいて、良い日だな」と思わせられるのなら、それだって良い買い物だ。

ということで皆様、HAPPY SHOPPING!


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