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3,11を忘れないために。

石巻の思い出は大きく2つ。

大学5年生の時に行った震災後のボランティアと、実際に縁がありそこに2年住んだ期間の思い出です。

私はかつて石巻市に2年住んでいました。震災後3〜5年のことですが、街の人の殆どは震災を体験している中で、自分だけがそれを知らないで住んでいる、というような、はっきりとした境界線がありました。

誰もが皆、

「ここにいるみんな、家族の誰かが、あの津波で死んでるんだ。」

と話します。

震災後3年経っても

「震災後、、、初めて歯医者に来ました。」

という人はざらにいて。小さな歯科医院はすべて流されたり、潰れたりしていて、市内在住で働く女性の歯科医師は私しかいなかった時期もありました。

保険治療が震災後無料で受けられる人もまだ多かったので、多くの人は保険治療でどんどん治療をすすめる中、

漁船に乗っているご家庭などはびっくりするような自費治療も、これにします!と言ってお金を出してくる人も多い地域でした。


被災地にいる自分と、外から見る自分

実際に震災があったときは、徳島県で病院実習をしていた私。

テレビの前にみんなが集まってきて、大変なことになっているらしい、というのは分かるけれど、どういう事態かわからずにいました。

数時間後、気仙沼の知人が、ふ真っ赤な焼け野原の中の写真を送ってきて、早く電池温存しなよ!写真送ってる場合ちゃうよ!と言ったのを覚えています。

テレビを見ながら、死者の数だけがどんどんと、大きくなる様子を見て

「ああ、阪神大震災のときは自分たちはこう見えていたんだ」と知りました。

(私は兵庫県明石市に住んでいて、9歳の時に震災を経験しました。その渦中にいると、死亡者数も、家事の様子も、電気が通らないので見ることがなく過ごしていました。死亡者数があんなにすぐカウントされ、増えていくのに驚きでした。)


私はここで妊娠し、出産し、産休育休を過ごしたのですが、震災後のNPOさんが入ってくださったこともあり、子どもの居場所がたくさんあったことに本当に感謝しています。


3,11の事を忘れないこと。

阪神淡路大震災のことも忘れないこと。

何より、私達は立ち直っていけること。

大災害時のレジリエンスとは若干状況がことなりますが、奥田さんのレジリエンスを思い出しました。


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RACという団体でショートステイ・短期里親の普及活動をしています。 歯科医師(訪問歯科、高齢者)、MBA、東京大学大学院 客員研究員。 子ども・高齢者・社会を繋げられたらなと思っています。4歳2歳の母。現在カリフォルニア在住。 BlogはRACの活動と趣味の性教育ネタ。