命の蒼い灯@大阪日赤病院 予定帝王切開
子供の居ない個室で一人、後陣痛にのたうち回っていた私でしたが、ずっとのたうち回っていれば良いわけでもなく、母親としてやらねばいけない事がありました。
3時間ごとに、GCUに行って、子供の世話をせねばいけません。
GCUとNICUは小児科、正確には新生児科管轄で、子供のお世話は専門の看護師さんが担当されていました。だから、産科病棟と同じ階に、小児科の病棟が設置されていたのかなと思います。
(ただし、時々新生児室には助産師さんがおられました)
とはいえ、やはり看護師さんの仕事のメインはNICUになると思われ、GCUの赤ちゃんのおむつを替えたり、ミルクを上げるくらいは、来れるのであれば、母親がすることになっていました。
さてこのGCU、ちょっと面倒なことに、私の入院した部屋は、実はぐるっと病棟を回っていかねばいけない位置にありました。
久々に登場!大阪日赤の産科病棟のフロアマップ。
https://www.osaka-med.jrc.or.jp/aboutus/f03.html
私の個室は81X号室の並びにあり、ぱっとフロアガイド見ただけなら、そのまま818号室の上の分娩室や回復室が並んでる廊下通っていけばいいやんと思うのですが、分娩エリアはまさに出産する人やそのご家族以外は、入院中であっても入れないルールで、廊下に入る部分に自動扉があって、普段は閉じており、病棟側からは入ることが出来ませんでした。
しょうがないので、80X号室の並びの廊下まで行き、右に曲がってナースステーションの前を通ってさらに奥まで行くと、やっとGCUにたどり着くことが出来ました。
そこそこの広さがあるため、結構いい運動になったと思います。
(入院していた時は、これは入院前に最初から個室にしろとごねたから、遠めの部屋にされたんだろうかと思ったりもしましたが、個室は空きから埋められるので、多分偶然。そもそも、最初自然分娩で始まったお隣さんも、私と同じ並びの部屋だったし。)
フロアマップでは、NICUとGCUと新生児室は区切られていますが、実際は新生児室とGCUは扉でつながっており、またNICUとGCUも中でつながっています。
GCUの廊下側にインターフォンがあり、そこを鳴らしてナースさんが出たら入口の戸をナースさんに開けて頂きます。
すると前室があり、そこのロッカーに持参してきた貴重品などを入れます。入院する個室は、産婦が外から鍵をかけることが出来ないため、部屋を出る際は貴重品を持ち歩かねばいけないのですが、GCUは、より室内環境に気を使わねばならないNICUともつながっている為か、必要最低限の物しか持ち込むことが出来ません。
荷物をロッカーに入れたら、GCUの内扉をたたいて、中から開けてもらいます。
GCUの内扉は、部屋の廊下側の端にあり、その中に入ると、部屋の両端にベッド(コットのサイズ)や保育器が、壁にそって縦に置かれていました。手前にベッドが2個ずつ、奥の角にそれぞれ1台ずつ黄疸治療専用の保育器があり、黄疸治療の紫外線照射は、保育器の中で行われていました。
うちの子は、廊下側の壁の保育器に寝かされていました。
中をのぞき込むと、目を保護するために小さな黒いアイマスクの様なものを付けられていました。紫外線を浴びる肌の面積を増やすためか、肌着を脱がされ、おむつ一枚になっていました。
見渡すと、反対側の保育器にももう1人黄疸治療中の赤ちゃんがおり、ベッドには2人赤ちゃんがいました。
黄疸治療中はこの保育器からは出られず、授乳もおむつ替えも、保育器の中で行います。保育器の側面に、手を入れられる穴があり、そこから手を差し入れて、哺乳瓶で授乳したり、おむつを替えました。穴はむき出しではなく、プラスチックの戸が付いており、お世話する前に開け、終わると閉めました(開閉方法を看護師さんに教わりました)
そのままでは手が汚いので、NICUとの間にある手洗いで、肘までしっかりと手を洗い、アルコール消毒を行ってからお世話をします。
お世話ですが、おむつが汚れていたら替えます。おむつは個室から連れ出される際に、おしりふきと一緒に持って行っており、保育器の下に置いてくれていたので、それを使いました。
そして授乳。赤ちゃんを外に出せないので、哺乳瓶のみとなります(うちの場合、このため後に大変な状況となるのですが…)赤ちゃんの上半身を起こさねばならないので、哺乳瓶を持っていない方の手(うちの場合は左手でした)で、体を支えねばならず、授乳って十秒二十秒で終わるものではないので、軽いとはいえ、赤ちゃんを産後の腕力だけで支えるのは、ちょっとしんどいものがありました(ほんとに産前に腕力鍛えとけばよかった)
当初、授乳は粉ミルクだけだったのですが、長時間授乳していないと、母乳の分泌が下がると思ったので、搾乳を飲ませることは出来ないか聞いたところ、OKとの事で、空の哺乳瓶を貰い、そこに搾乳して、乳首をつけて飲ませる事もしました。
なお、お世話ですが、夜間はNICUのナースさんにお任せし、母親は部屋でずっと休むことも出来ると言われたのですが、いや頑張りたいと話し、とりあえず病室で搾乳し、それだけ届させて貰いました。
GCUとNICUの間の手洗いの横に、前室と繋がっている受け渡しの小窓の様なものがあり(よく採尿したコップを置いておく小窓がありますが、あんな感じ)、そこに置いて渡した気がします。
日が変わった次の日の午後からは、ミルクもあげ、また赤ちゃんを目の前に搾乳もし、それも与えました(搾乳を与えてからミルクだったかもしれません)
GUCに行くときは、点滴の棒を押しつつも、まだ普通に歩け、体の痛みが良くなってくると、すたすたと軽快に行けたのですが、最初の頃は部屋に帰るときは、搾乳とお世話で疲労困憊になり、棒にすがって、かたつむり並みののスピードで移動していました。。。
(清掃員の方で、かなり腰の曲がられた高齢の女性がおられたのですが、完全に抜かされました)
また、この頃私はもう1つ、哺乳瓶の乳首の種類も変えてもらいました。
大阪日赤では、哺乳瓶はピジョンの母乳実感というブランドを使用しています。赤ちゃんの月齢によって乳首のサイズを変えるタイプで、通常、新生児には新生児用のサイズの乳首を使うのですが、ノーマルラインとは別で、一般の赤ちゃん用品店などでは販売されていない「母乳相談室」というラインがあります。これは、桶谷式という母乳マッサージの流派の助産院と、一部産院のみで販売されていたもので、ノーマルタイプの乳首と比べて固く、頑張って吸おうとしないとミルクが出ない構造になっているそうです。
上手く直接母乳が出来ない赤ちゃんに対し使用し、哺乳瓶からの授乳でも、直母の練習になるというアイテムです。
(販売されていた、と書いているのは、現在はAmazonでは販売されているためです。ただし、少しサイズの大きいものは、やはり桶谷式の助産院でないと入手出来ないようで、メルカリでも売り切れています)
子供の黄疸治療は24時間という事で、その間は個室でのお世話はなく、非常にのんびり過ごしましたが、体力の回復に努めねばならないため、基本眠り、部屋で搾乳する場合は、前のお世話から2時間半後にタイマーをかけ、搾乳してからGCUに向かいました。
搾乳用の空の哺乳瓶は、まとめて何個か貰い、授乳したら乳首と蓋をはめて、入院着のポケットに入れて持って行きました。
なお、GUCに通ううちに徐々に、肩の痛みも後陣痛も良くなってきていたのですが、その分開腹部位の痛みが出てきたため、しつこくロキソニンを貰い、とにかく痛み止めを飲みたかったので、まだ肩が痛いと言ってアセトアミノフェンも貰い、時間を計算しながらタイマーまでかけて服薬管理し、常に何らかの鎮痛剤の効果が発揮されているようにしていました
何で細かく計算したかというと、飲んだ時刻を薬の入っていた袋に書かねばならず、それを助産師さんが来られる度にチェックされるので、次の服薬までの時間を縮めることが出来なかった為でした‥
(産後のボケてる頭でよくやったと思います。人間、苦痛から逃れようとすると、能力が高まるのでしょうか)
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さて、これはあくまで私個人の感想ですが、GCUに入ることが出来たのは良かったなと思っています。それは、そこで長く頑張る赤ちゃんや、そのママさんに出会えたからです。
GCUの普通のベッドには、2人の赤ちゃんがいました。うちはトータルで2日弱GCUにいたのですが、両日とも2人の赤ちゃんのお母さんが、どちらもいらっしゃり、授乳やお世話をされていました。
お母さんたちは、私たちと同じでまずGCUの前室で荷物をロッカーに入れていましたが、その時、通いの母親のみが着用する、入院着とは別の色(確か緑色)の浴衣に着替えてから、お部屋に入られていました。
そこで赤ちゃんに出来るようであればおっぱいをあげたり、搾乳機で搾乳したり、お世話をされていました。
(大阪日赤では、普通の産後入院では搾乳機の貸し出しはなく、持ち込みも認められませんが、GCUに通うお母さんに対してのみ、メデラの電動搾乳機を使わせてあげている様でした)
ふと、その赤ちゃんの育児日誌を見ると、自分の子供と同じ、森永乳業の育児日誌だったのですが、すごく沢山のページに書き込まれていることに気づきました。きっとその赤ちゃんは、長い間GCU、そしてもしかしたらNICUに入院していたのではと思います。
看護師さんからも、もうそろそろ退院できそうねと声掛けをされていました。
反対側のベッドに寝ていた赤ちゃんもそうでした。
そして手を洗う際、手洗いがNICUとの間にあるため、NICUが視界に入ってきました。NICUの中を直接見るのはこれが初めてでした。
NICUでは、赤ちゃんがお母さんのお腹にいる状態に近い様、光の刺激を抑えるそうで、明るい照明はついておらず、青色灯が使用されており、静かな雰囲気が漂っていました。
奥には何個か保育器があるのが見えました。中に赤ちゃんがいるかまでは見えませんでしたが、一度、GCUから出るとき入れ替わりで、新生児科の医師とみられる男性が、入って行かれたので、おそらくいたのではと思います。
そもそも今回のお産が大阪日赤になったのは、他ならぬNICUがあるからでした。幸い、出産日まで無事にお腹の中で育ってくれて、お世話になる事はありませんでしたが、もしもあと少しだけ胎盤の位置が低くて、早期に出血して出産なんてことになっていたら、子供はNICUに入っていたかもしれません。毎日通っているお母さんは、私だったかもしれません。
総合病院は、個人の病院に比べれば、サービスも低いし、ゴージャスな産後を過ごすなんてできません。
ですが、NICUで頑張る赤ちゃんが入っている保育器や、その青い電灯、GCUにずっと通って授乳されているお母さんたちを目の当たりにしたのは、総合病院だったからだと思います。
ママさんや、ナースさんの頑張りを肌で感じました。
ママの皆さんは、頑張って毎日通われ、搾乳されていました。長くそれを続けられており、本当に頭の下がる思いです。
またちょうどそのころ、コロナウィルスの流行で、NICUはどこの病院も厳しい面会制限が敷かれるようになっていると報道があり、日に5分だけでも会えないかとか、オンラインで面会できないか努力される病院スタッフの姿が特集された番組も目にしました。
日赤でも、NICUには面会者はいませんでした。子供の生命力をただ信じ、離れて見守られていた親御さんがいらっしゃったのかもしれません。
NICUとGCUがあるのは、日赤の建物の千日前通り側です。
近所なので、近所を通るときは、ついつい目がそこに行き、自然と心の中で、今いる赤ちゃん頑張れと応援しています。
元気に大きく産んで、母親と一緒にすぐに退院する事は、決して当たり前ではありません。
NICUの蒼い光を、私はずっと忘れないでいようと、今でも思っています。
※余談ですが、私は最初大学病院のNICUのナースだった(現在は養護教諭)知人や、親が新生児科の医師をされている同期がいます。
同期のお父さんの話は、ちらっと聞いた事があるのですが、今回NICUやGCUに入り、目の当たりにしたことで、お二人に対しより一層尊敬の念を抱きました。
同期のお父さんは、当然ではありますが、夜中であっても、超未熟児が産まれたという電話が一本入れば、お家を飛び出されていたそうで、GCUに入って来られた先生に、お父さんの姿を垣間見ました。