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山沢栄子「私の現代」展@東京都写真美術館

山沢栄子は1920年代に油彩を学ぶために渡米し、アルフレッド・スティーグリッツの弟子だったカメラマンの助手となって撮影を学んだ。こんなにも早い時期にアメリカで写真を学んだ日本人であり、しかも女性という非常に稀有な存在である。


本展覧会で圧巻なのは、抽象的なカラー写真《What I am doing?》のシリーズである。ある作品では光の角度と陰影が丹念に計算され、素材の質感が生々しく立ち上がり、またある作品ではカラフルな対象が極めて平面的に撮影されてあたかもポップアートの絵画のようである。別の作品では対象の細部に迫り、シュルレアリスムのようなオブジェの驚異を感じさせる。これらの写真が制作されたのは、1970年代から80年代であり、それまでに絵画でなされていたあらゆる抽象の試みをカラー写真で軽々とやってみせるかのようである。


そもそも作家はすでにアメリカ時代に抽象写真の素養を身につけていたはずである。スティーグリッツの弟子たちの中には、カメラのレンズの特性を巧みに用いて見慣れた対象を異化させるエドワード・ウェストンや、光と陰を操り抽象的な形態を生み出すイモジェン・カンニングハムらの写真家がいた。山沢はおそらく彼らの写真を深く理解していただろう。


その後山沢は日本に帰国し、肖像写真を得意とする商業写真家として活躍する。写真集『遠近』に収められた1940年代から50年代の写真は、抽象の要素は見出せるものの、基本的に町の風景やそこですれ違う人々を切り取ったドキュメンタリー風の写真である。


山沢が同時代に抽象写真を発表していたならば、一躍前衛写真家として著名になっていたに違いない。だが《What I am doing?》は、何十年もの時を経た上で生み出されたことで、むしろ確固とした作者のスタイルと、流行とは無関係な、抽象に対する誠実なアプローチを感じさせる。自立していながらも写真史の流れとは無関係であろうとする山沢の創作態度は、女性であり、商業写真家というマージナルな存在であったことと無関係ではないだろう。「時代がやっと、私についてきたかな。ついてこなくてもかまわないけど」(朝日新聞夕刊1992年9月12日)。

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