Cassandraと私。
この事をnoteに書くか否か、noteを始めた頃からずっと考えていました。
私がカサンドラ症候群になったのは、いくつもの悩みとタイミングが合ってしまったから。
(カサンドラという言葉。なかなか聞き馴染みのない言葉ですよね。
これを機に知って頂き、頭の片隅にちょこんと置いておいて頂けると嬉しいです。)
今はもうカサンドラ症候群ではありません。
私がカサンドラを抜け出せた時の事を書くことで、同じ悩みを抱えている人に何か少しでも響けばと思います。
私の娘は、小さい頃から育てにくいと感じることが多々ありました。
周りとちょっと違うことをしたり、空気が読めなかったり。
独特の世界観があり面白い部分もありましたが、親として世間一般の間違った事を正そうとしても想いが全く通じませんでした。私も夫も疲弊していました。
小学四年生頃から高校卒業まで長い長い反抗期でしたが、今思えば反抗ではなく【素】だったのです。
娘の中には娘の世界があります。
娘は娘なりに『自分の気持ちが周りの人に分かってもらえない』という悩みを抱えていました。
私は、もしかしたら娘は何かしらの発達障害があるのでは?とその頃気づきはじめました。
生きづらそうにする娘を見て『娘も私ももう限界』そう思い心療内科に連れていきました。
結論から言うとADHD。薬も処方されましたが、薬を飲まないor飲み忘れる事も多く、娘は娘なりに薬に頼らず自分で努力したいと考え通院をやめました。
娘は現在23歳になり自分の個性と向き合いながら仕事に趣味に楽しんでいます。
そんな娘と夫はよく似た部分がありました。
うっかりミスや物忘れ。
ガチガチの頑固さ。こだわり。
これは私が夫と知り合った頃からです。
しかし私自身の【普通】と夫の【普通】は子供が生まれてから子育てをする中で噛み合わない事が更に多くなり何度も何度もぶつかりました。
義実家も同じでした。だから余計に気持ちが通じ合わない苦痛を感じていたのだと思います。
そんなことが長年続き、私はカサンドラ症候群になりました。そしてその後色々な事が重なり私はうつ病と診断されました。
私がうつ病になった事で、ようやく夫も自分自身と向き合ってくれました。
夫は自ら心療内科に行き、ADHDと診断されました。
夫もしばらくは通院し服薬していましたが、薬の副作用がつらく通院をやめました。
しかし夫は自分の診断を受け入れ、大事なことを忘れないように付箋をあちこちに使ったりメモをしたり努力をしてくれるようになりました。
夫に診断が下りた事で、私が長年悩み続けた理由が明確になりました。
私自身の苦悩の理由が明確になった事で、私は『私』を認めてあげられるようになりました。
これがきっかけでカサンドラから抜け出せたと思っています。
夫は今でも相変わらず物忘れや勘違いなどありますが、私は笑ってやり過ごせるようになりました。
『夫のうっかりは、私とは関係なく夫の問題。』
そんな風に俯瞰できるようにもなりました。
聞こえないふりもできるようになりました。
だから今では全くイライラしなくなりました。
逆に、夫の物忘れのおかげで救われる部分があるのも事実です。
カサンドラで悩む人達へのサポートも色々あります。
私の場合ですが、カサンドラさん達のコミュニティSNSに参加した事がありますが私には合いませんでした。
みんな夫の文句や愚痴ばかり。
解決方法をシェアするのではなく鬱憤ばらしだったのです。
私が参加したコミュニティがたまたまそうだったのだと思いますが。。。
夫と娘が心療内科で診断された事で私の場合カサンドラから抜け出せる事ができました。
パートナーや家族に共感して貰えない苦しみ。それに伴う頭痛や不眠やめまい。体の不調相当つらいです。
そして悲しみと孤独と苛立ち。自己喪失感、罪悪感、無気力。。。
しかしこれはきっと相手も同じことを思っていると思います。だからぶつかるのだろうとも思います。
だけどカサンドラを抜け出ることができた今では、『どうやっても分かり合えない部分はある』と良い意味で楽観的に思えるようになりました。
相手は変えられない。
変えられるのは自分です。
重要なのは無理して我慢して自分を変えるのではなく、自分が楽になれるように変わることだと私は思います。
時には耳をパタリとたたんで聞こえないふりをしたり知らん顔したり。
自分が楽になるための術です。
パートナーや家族に悩み、カサンドラで苦しんでいる人は沢山いると思います。
お友達がカサンドラで悩んでいるという人もいると思います。
苦しみを理解してもらえるコミュニティやカウンセリングなど助けてくれる場所を利用するのもひとつだと思います。
私のこの経験が悩んでいる人の力に少しでもなれたら。。。
カサンドラで悩む人が早く楽になれるよう切に願っています。
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