双極性障害の私が司法試験に合格する話(411)自然ってどういう状態?

「自然」という言葉について、考えたGWだった。

大自然の中を旅して、ひたすらに考えた。

美しい大自然の中に落ちている人間のゴミ、人間からの餌を求めて近づいてくる野生のキツネ、熊が人間を襲ったというニュース・・・。地球を本気で守ろうとするなら、人間なんていない方がいい、と私はずっと思ってきた。だから自分の価値について考えてみた時に、いい人間でありたいならば、この世界からいなくなった方がいい、そんな考えが、私自身の自殺願望につながっている。

でも、雄大な自然の中で数日間、生きて、「自然を不自然にしていくことこそが私の自然なのでは?」と思った。私は、美しい大自然に、ごみを捨てたりはしない。でも、毎日、なんらかのごみ(生ごみとか鼻かんだティッシュとかうんちとかもね)を出し、その処理を、見知らぬ誰かに任せている。その人がどんな処理の仕方をしているかまでは私は知らない。たとえ、正しい処理の仕方をしてくれているとしても、ごみの行方を知らない私は、ポイ捨てをしているのと変わらないような気もした。だからといって、ごみの処理について、深く知ろうとしない自分もいる。それを調べるより、寝ていたいし、絵を描いていたいし、司法試験の勉強をしたい。これが、どこまでいっても、私の自然なのだ。こんな大自然を目にして、美しさに感動しながら、生活を変えようとしないのが、私の自然の姿。

自然体で生きていたい、という気持ちがとても強い。でも、不自然なこと、人工的なこと、それらを求めてしまうのも、私にとっては自然なことなのかも。

自然は善で、不自然は悪、そんな意識が何となくあったのだけれど、それがそもそもおかしいようにも思う。人間を襲った熊が射殺される。熊は悪だから、殺された。でも熊からしたら、人間は悪だから襲った。どちらも、どちらなりに正当な理由がある。だから、どっちが悪で、どっちが善か、そんなの、決められない。

だから。

私は、弁護士になりたいのかもしれない。

誰もが悪だという人の善を証明したい。昔から、なんでも悪役に感情移入するようなタイプだった。芥川龍之介が書いた、桃太郎が悪だという鬼目線の「桃太郎」の話を読んで、私は妙に興奮したのを覚えてる。

善も悪もない。でも、善を叫んで攻撃する人がいるならば、悪と言われている側の善、つまり、「自然なこと」であったことを私は証明したい。

やっと、腑に落ちたような気がする。

私のやりたいことはこれなんだ。

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