双極性障害の私が司法試験に合格する話(408)真面目な怠け者。

私は結構、真面目な人間だと自負してる。

でも、かなりの怠け者でもある。

自分を怠け者だというところが、また真面目だとも思うし、反面、真面目だと言いながら、怠けるのでやっぱり怠け者なのです。

私が私自身を責めるときは、大抵、怠け者の自分を真面目に攻撃する。だからしんどい。怠け者の人に指摘されるより、真面目な人に指摘される方がよほど刺さる、痛い。だから、自分の本質はやはり、真面目なのだと思う。

一見、「真面目」というのは褒めるときに使う言葉かもしれないけれど、私の場合は、いい風に作用はしていない。

怠け者とか風来坊とか適当とか、なんか勢いでガーっと豪快にやっちゃうような人に憧れて、怠け者を演じてみるのだけど、どこかで、真面目な私が、「ダメです」とチクチク攻撃する。

多分、外からパッと見た感じ、私は豪快な感じでガーっとやっているように見えるかもしれない。(いや、そうでもないのかな?わからんけども。)でも、私の場合、真面目に真面目に計画を立て、一個一個をつぶしていき、だけどタスクが真面目過ぎて、それをこなすのが嫌になってきて、ええええい!ってひっくり返しちゃう。真面目な自分に真面目についていくことができていない。中途半端な真面目さんなわけだ。

司法試験の勉強にしても、真面目なやるのはよくない。ある程度の適当さで、どんどんテキストを回していくことが大事だ。わかってる。わかっているのだけど、真面目さんが顔を出して「これをわからないままにしておいてはいけない」と言って、わからないのに向き合うのもしんどいから投げ出してしまう。

真面目な自分の本質に耐えられるほどの忍耐力がまだ育っていない。そこで、怠け者の出番なんだと思う。

「真面目」と「怠け者」は相反するようで、でも私にとっては、どちらもなくてはならない性質なように思う。真面目であるからこそ、怠け者の部分が必要で、また、怠け者のままだらしなくなるのも怖いから真面目に節制する。

どちらが大きくなってもいけない。うまくバランスをとりながら、真面目と怠け者をコントロールできたら最高。

自分の持ってるもの、いいところはもちろん、ダメなところも、なにかしら存在する意味があって。それを排除するとバランスが崩れる。今のまま、いかにこのまま受け入れて生きるか。

それが自分を大切にするとか、自分を愛するとか、そういうことにつながるのかなと思う。

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