双極性障害の私が司法試験に合格する話(395)あんた、うまく生きようとしてない?

久しぶりにお風呂に浸かって、ぼーっとした。

本を持ち込んでは見たものの、読む気になれず。ただただ、滝のような汗をかきながら、ぼーーーーっとしていたら。頭の中にポンと浮かび上がってきた。

「あんた、うまく生きようとしてない?」

うわ、はい、そうですね。うまく生きる方法をずっと考えてました。うまく、生きる、それってなんだ?説明できない。穴、みっけ。

10代の頃、お芝居の養成所に通っていた時、役者の講師の先生に言われた。
「うまい役者より、なんかあいついいよな、と言われる役者になれ」と。

私はこの言葉を聞いたとき、「あ、私、できるかも」って思ったんです。

うまくないと役者ができないと言われたら、私はとっくにやめていたと思う。私が、人生でうまくできたことは、すべて母が手伝った(いや、全部やった)ことだから。

小学校時代の長期休みの宿題、必ず読書感想文、書写、標語、絵、すべてにおいて、母が率先してやった、それらは必ず賞をもらえた。その時に、私は、あきらめた、というか。母に頼めば、必ずうまくいく。みんなにちやほやされる。尊敬される。でもその代わり、悔しさ、罪悪感、私はやっていないことがもしもバレてしまったとき、私はどう言い訳したらいいのか、そんな苦しみが代償として襲い掛かった。だから、自分ひとりでやることはうまくいかないもんだ、そう思ってきた。

だから、

「うまい役者より、なんかあいついいよな、と言われる役者になれ」

この言葉は、私の闇を照らしてくれた言葉だったんだ、と今になって思う。この世界は、うまくなくても生きていける。「なんかいい」それなら、私だって言われたことたくさんある。「お前、なんかウケる」「なんかわからんけど最高」相手は自分の感情を上手く理解しないまま、でもそのまま、よく、そんな言葉をぶつけて笑ってくれた。そんな友達がたくさんいて、山ほどの悪ふざけや冒険をした。

なのに。
私は「うまく」生きようとしてた。

母といろいろあって、距離をとって?縁を切って?5年近くがたつ。その間、たくさんの失敗をした。もう一体人生どうしたらいいか、迷って迷って、迷ったくせに選んだ方は必ずハズレ。死ぬ勇気もなく、動けば動くほど沼にはまっていく。こんなに苦しいなら、母にもう一度、頼ったほうがいいんじゃないか。そっちの方が楽なんじゃないか。どこかでそう思って、「うまく」生きようとしていたのか?わからない。

でも、その5年間、いいことがなかったかと言われたら、そんなことはなかった。むしろ、感じたことのない幸せがたくさんあった。私のダメな部分を面白がってくれたり、自分で気づきもしなかった部分をほめたたえてくれる人と、広島や旅先で出会った。このnoteで私の記事を継続して読んでくださっている人もそうだ。決して人を幸せにするわけじゃない前向きな言葉なんてほとんどない場所なのに、定期的に見てコメントを下さったり、ハートマークをくださったり。私が一人でやったことを、感想はどうであれ、気にかけてもらえてる。それって、めちゃ幸せなことだ。

これって、「うまく」はないけど「なんかいい」ってことなんじゃないの?違うかな?(笑)

でも自分でこれを書いてて思う。文章だって、うまくはないし、でもさ、心の内を恥ずかしいことを赤裸々に綴ってる私、なんかいい。自分で自分のこと、いい感じって思えちゃった。

なんでもうまくやってのけて、人から拍手喝さいをもらって、裏では、バレルことをおびえながら苦しんでる人より、なんにも自慢することはない、丸裸で、にこにこしてる人の方が私は、「なんかいいじゃん」って思う。

うん。大丈夫。私ちゃんと、自分の人生歩み始めてる。

今日は勉強の手を止めて、ずっと考えていた。昨日の記事を読んで、メールをくれた人、電話をくれた人、どちらも私の尊敬する人から言葉をいただいて。貴重な時間を使ってくださったのだから。真剣に考えようと、思った。

おかげで、大事なことに気が付けた。


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