君たちはどう生きるかを観ました

「君たちはどう生きるか」を観てきた。
僕はあまりジブリ作品を観たことがないので、純粋にジブリ映画をスクリーンで観れることにワクワクしていた。
とにかくアニメーションがすごかった。賛否両論あるこの作品でもこれだけは確実に意見が合うと思う。
ここからは僕なりの解釈と感想を書いていく

主要人物の整理
眞人
母親を火事で亡くす。
新しい母親が来るも、本当の母親が忘れられずに夢にまで出てくる。
アオサギの声が聞こえる
学校で馴染めずに喧嘩、石で自分の頭を打つ→幻のようなものが見えるようになる
夏子を母親とは認めてない感じ
アオサギ
あっちの世界へ眞人を導く
案内人?
眞人を待っていた感じ
夏子
眞人の次の母親にして、眞人の実の母親の妹
つわりになり、あっちの世界へと導かれていった
眞人に本当の母親のように接してほしい
ひみ
あっちの世界で鳥を退治できる炎を操る
眞人の母親らしい
昔あっちの世界に行った経験あり、1年後くらいに現世に帰ってきた
大叔父
塔を見つける
本を読みすぎておかしくなった
あっちの世界の管理者?
眞人を自分の後継人にしたい
きりこ
手伝いのおばさんの一人
あっちの世界に眞人と一緒に行く
若い頃のきりこはあっちの世界に慣れている
わらわら
赤ちゃんになる前の魂的なもの?
ペリカン
わらわらを食う
上の世界に行きたい
インコ
あっちの世界を自分達のものにしたい
人でも像でも食う
妊娠している人は食わない
大叔父にひれ伏している

疑問
まず、あっちの世界は何なのか
→これは死人や赤ちゃんに転生する前のわらわらがいることから、死後の世界、地獄、天国のような解釈でいいと思う
アオサギが地獄と言っていたのもあるし、インコが大叔父に会いに行く時、「ここは天国」と言っていたこともある
死人は塔を隠すための工事中に死んだ人達なのではないか
眞人はなぜ導かれたのか
→大叔父の子孫だったからだと思う。そして大叔父が後継人として眞人を選んだから。
大叔父は何者だったのか
→あっちの世界の均衡を保っている管理者である。しかし、自分の世界が崩れそうだから眞人を後継者にしてあっちの世界を守ろうとした。工事中に死んだ内の一人であるのかもしれない。最後、現世のことを悪く言っていた事から、死後に大叔父は現世とは違う自分の世界を創ったのかもしれない。
なぜ眞人は自分の頭を石で打ったのか
→この傷は自分の「悪意」からつけたものらしい。この現状に満足していない、夏子を母親と認めたくない、こういった思いからの自傷行為?母親に会いに行こうとした?
ひみと夏子はなぜあっちの世界に行ったのか
→この家柄だから?赤ちゃんを産む前に導かれる?
ひみはなぜ小さかったのか
→眞人を産む前の時系列のひみであり、あっちの世界からはそれぞれの時系列の世界に帰ることができる。
きりこがあっちの世界に慣れていた理由
→一番分からない。眞人と同じ傷を持っていた事から、致命傷があっちの世界に行く事ができるトリガーなのか。ひみと同じ世界線に帰った事から、あの二人は同じ世界線であり、ひみは1年後に現世に帰った事から、あっちの世界に住んで1年になるのか。

色々疑問はあるが、個人的には好きな作品だった。なぜこんなにも騒がれているかを考えた時に、広告なしでこのタイトルだったら誰でもこのタイトルの意味を理解しようとするからであると思う。
別にタイトルが固有名詞であればこんなにも騒がれておらず、今までのジブリ作品と同じように楽しんでいたと思う。しかし、疑問系のタイトルから普段映画の考察なんかした事ない人も理解しようと頭を使う。その結果、僕のように多くの疑問が出てきて結局賛否分かれるのかも知れない。
どこまでが計算で作られているのか。このタイトルにして宮崎駿の答えのようなものを友達同士で確認し合うことまで視野に入れていたのだろうか。なぜか理解したいと思わせる魅力がこの作品には詰まっている気がする。ここまでが計算なのか。
はたまた、意外とそこまで考えていないのか。
そしてそれぞれの「君たちはどう生きるか」の答えを見つけた時にこの映画を観終わったことになるのか。

君たちはどう生きるか
これは眞人の母親が眞人に向けた本のタイトルであった。
これを読んで眞人は泣いたのだが、なぜ泣いたのか。
母親からのメッセージがこの本に詰まっていたからなのか、母親を思い出したからなのか。
おそらく前者であると思うが、何が書かれていたのかは分からない。
あっちの世界で夏子を探す理由が、父親が好きな人だからという理由だったのが、いざ会って引き裂かれそうになると夏子のことを「お母さん」と初めて言うのだ。こうした眞人の成長から、現状を受け入れたことを感じる。
そして、後継者にしようとする大叔父の誘いを断り悪意が蔓延る現世へと帰る決意を決める眞人。その事から、眞人の強く逞しく生きていくことの覚悟が見える。

印象的だったシーンはわらわらが転生するときにペリカンに食べられてしまうシーンだ。生命を宿すということは奇跡なのだということを感じることができた。一握りの生命を授かった自分達はどう生きるか、これが問われた作品だったのではないか。
眞人は現状に向き合い、夏子を母親と認め成長した。これが眞人の生き方だと解釈した。
眞人はこういう生き方を選択した。
タイトルのこの映画としての僕の解釈はこれらであり、正解はないと思う。

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