美醜の話

とりとめもないこと。
昔、バイト先のお客さんに「君みたいな中肉中背が一番かわいいよ」と言われた事を私は根に持っていて、10年以上、ずっとこの言葉を噛み締めてる。

君みたいな、って所で解るけど、別に私ではなくて良いし、中肉中背って、つまり小デブって事だろうから、私には侮辱にしか聞こえなかったんだけど、何年か前に同僚にこの話をしたら「褒められてるのに何で怒るの?」と言われて、でんぐり返ししそうになった。

曰く「あなたのそういう特徴がかわいいって事でしょ?」とのこと。

なるほど。たしかに私は前半のインパクトに負けて、可愛いに比重をおかず、なんなら嫌味かとすら思って聞いていた。要は言葉のどこを切り取るかって事。

あれから、私は何年かかけてトータルで10キロくらい痩せた。
それでも、ずっと私は「君みたいな中肉中背」と言われたことを根に持っているし、自分の事を中肉中背だと思ってる。

いい大人になって、私は自分にばかり金をかけている。肌が汚い、脚が太い、口元が良くない。
レーザで焼いても、エステで引き絞られても、歯科矯正で締め付けられても、私の中の中肉中背は、どーんと座って動かない。

最近、同僚に私が受けた施術の話をしてたら、「あなたはブスってほどブスでもないし美人ってほど美人でもない。つまり普通」と言われた。

私はこんなに金をかけないと「普通」にすらなれないのか、と思うとブルカのようなもので顔を覆って生きたい、と本気で思った。

言われたときは、ならブスが良かった、と思ったけど、別の先輩にこの話をしたら「普通が1番尊いものだよ」と諭された。

たしかに私は尊い「普通」のために今日も走っている

容姿がコンプレックスだ。
昔から。
鏡が見れない時期がずっとあった。
ニキビができやすくホクロ多い汚い肌が凄く嫌だった。
腕や背中にアトピーのような発疹ができるのも嫌だった。
ふくらはぎが太くて、大根足ってずっと言われていた。
何を着ても似合わないと言われいた。確かに、母が選ぶピンクは私には本当に似合わなかった。

鏡が見れない子供は、大人になって、中肉中背という言葉にこだわる私になった。

美人になりたい訳じゃない。なれないから。
ただ人の姿を保ちたい。普通でもいいから。

私だって、できれば後半の「かわいい」を切り取れるようになりたい。

でも仕方ない。私はずっと中肉中背で普通で、それすらある程度の努力がないと手にはいらないと、解ってしまっているから。

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