イベントと重圧の思い出

母親がいまだに
「おまえが子供の頃、ケーキ作ったのに食べなかった」というような話をしてくる。

その時、私は風邪をひいていて具合が悪くて食べ物を食べられる状態になく、
それに気が付かない母親(うちの母親はなぜか私が具合が悪いと怒ったため、基本的に私は言わない)に
私はクリスマスに食べろと怒られた記憶になっている。

子供のころのイベントの記憶は、苦いものしかない。

喜ばなければばらず、食べなければならず、楽しまなければならず、とにかくやらなければならないことが多い。

今になれば、母親が「ここまでやったのにと喜ばない事」に怒る気持ちも解らなくもない。

喜ばれるだろう、と誰かのために何かをすることが、喜ぶにきまっている、と自分のためになってしまう事は、
理解も共感もできる。

できるから、自分が誰かに何かをすることも躊躇する。

大人になった私は、
あの頃の私も今の私ももう少しだけバカで、
こんな違和感も中途半端な共感も恐れもなく、
ただイベントを受け入れられたら良かったのにと、「慈しみ深き」を口ずさんだりして思っている

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