「相手を知る」をしなかった私へ

何年か前に、私は同棲を解消して実家に帰った。
6つ下の可愛い男の子と付き合っていたけれど、振られてしまった。

ちょっと話が飛ぶけど、私は仕事が大好きで、ある程度、結果を出してきて、自信も人並みにある。

私はその、大好きな仕事の延長線上で恋愛を捉えていて、生活においても「できるだけ効率的かつ最良の方法を議論し合いましょう」というスタンスでいた。

それが年齢差がある私達が「対等である」という事だとも思っていた。

でも、それはあくまでも「私がそのスタンスで居る」と思っていただけだった。

どうでもいい喧嘩のたびに、論点がズレたり第三案を提示できない彼に、私は呆れていた。呆れていたというより、恐らく少し馬鹿にしていたと思う。

私は、私自身で「対等性」を揺るがしていたのである。

いま思えば、そりゃ振られるわ、と解るが、当時は料理や掃除も頑張っているし、気持ちよく働けるように整えているし、対話もしている私の落ち度はどこなんだ、と思っていた。完全に他責。

それこそ、「おまえ、仕事で他積にする人、超嫌いじゃん!」みたいな感じなんだけど、わからなかった。

私は、あくまでも私自身は『仕事の延長線であるかのようなスタンス』であったと思い込んでいたからだった。

実家に戻ったあと、しばらくして、人事異動で私は営業配属になった。

不人気部署に希望して移動した私を、周りは歓迎してくれたし、びっくりするくらい優秀な人がたくさんいて、楽しく働けるとてもいい部署だった。なにより、私は初めて、仕事だけじゃなく『会社が好き』と言えるようになった。

しばらくして、私は他部署の課長と揉めた。
その上司が、あまりにも仕事が中途半端で、その無責任さと調整力のなさで、案件がグズグズになってしまった事を、私がクソ味噌に詰めた。

結局、私が部長に怒られて(おじさんをいじめちゃいけない)終わった。

そのときに、私の思う「仕事の終わり」と彼の思う「仕事の終わり」には乖離があり、だからこそ私は彼(ら)の仕事を中途半端に思うけど、そもそも私の思う「終わり」を提示しなかった私が悪いのでは、という気持ちになった。

それは調整や商談や準備、ぜんぶのフェーズで言えることで、それぞれ100%のレベル感が違う。まわりが私よりも、ずっとずっと優秀でゴールのレベルが高ったから忘れていた。そして、その優秀な人たちは、きちんとゴールのレベルを示していた。
今回の件は、ゴールの目線合わせをしなかった、私こそが戦犯だと、そのときに気づいた。

ふと、私が振られた時のことを思い出した。

散々人のせいにしていたけど、たぶん今回と同じで、私は「相手を知ろう」という気持ちが圧倒的に足りなかった。

相手のために、と思ってやっていた掃除も料理は、すべて先回りしてこなしていて、それが相手にとっても良いと思っていた。
でもそれは、相手が求めていなければ一方的な押しつけだし、傲慢だ。
それを上から、やってやってる、と言ったら、そら怒るわ。私だって怒る。

愛情表現もそうだ。
私は思い込みが激しいし、表現が過剰だけど、相手が全く同じであるわけがない。私はめちゃくちゃ相手にお金を使いたいタイプだけど、それはあくまでも自己満足で、同等に求める事は純粋に失礼だ。

私は、相手を知ることに関して、びっくりするぐらい下手だ。

そして、仕事から外れると、思い切り思考力がなくなる。

私は今、とて好きな人がいて、その人は子供がいる。(いまは独身)
パートナーがいるのでは?と思っているけど、きちんと聞いたわけではない。

どちらにせよ、彼が私の面倒をみてくれている事実を大切にしたいし、それ以上を求めて迷走するのは辞めよう、と気付いた。彼には彼の生活や守るべきものがあって、それはなにより尊重すべきものだ。その中で、私に付き合ってくれている、という事実は、むしろ喜ばしいものでしかない。

私は、私のことしか考えていない。

あの時、実家に帰ったすぐあと、
心の何処かで、ずっと相手を攻めていた私へ。

たぶん私は正しかった。
今でも、そう思っている。
でも、それはあくまでも私の正しさだ。

間違っていない。
でも、相手も間違ってはないない。

「相手を知る」をしなかった私へ。
対等である事は、相手の正しさも肯定的することだ。
そして、相手の正しさを知ることだ。

今の私が、別の誰かを想うとき、その人の正しさを想えるかを、あの時の私が息を呑んで見ている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?