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2024年1月11日の日記「ちょうどいい」

また次の日の昼になってしまった。
敗因は0時過ぎた頃、うっかりリョウコさんに「このソシャゲ(※昨日の日記参照)の〇〇ってどうやるの?」と聞いてしまったがために
その後4時頃まで延々説明されてしまったからである。
仕事をしろ。

本日は通院もあるので短めで。

動画を投稿した。
何と字幕もついている。前回はお試し動画だったのもあって「本格的に仕事になるので」と超絶ちゃんとした動画があがってきてビビッている。

こちらに関しては「日常」ブログの方へちゃんと書く予定。
仕事とかメディア関係はそっちに描いていきます。
日記一つ書くのに1時間ぐらいかかってるから中々大変なんだけれども。

動画もそうだが、漫画も絵も、一回だけ発表する分には何とも思わないのだが継続して出すとなると評価というものがついて回ってくる。
評価=数字で、どこか気になってしまうのが本当に嫌だ。

とはいえ、所謂「人気者」「有名人」になりたいのか、というと否である。
結果的にそうなるのは仕方ないとして、そこを目指すのは違うと感じる。目立つ事によって得られるものはかなり少ないと感じる。
有名になればなるほど、リスクは高い。

例えば。
すい臓がんのステージ4のカップルユーチューバーの方は有名だろう。
元々旅動画で登録者数も少なかったのだが、ガンだと分かってから何十万と増え、ニュース記事にとりあげられた。(この数字の増加に関しては、「この人はあと少しで死ぬんだな」という好奇心もあって見守っているかと思うと臓腑が煮える感覚に近い気持ち悪さを感じてしまうのであまり深く考えたくない。あくまで個人的な感想です)
収益は増えたであろうが、その代わり炎上がものすごく増えている。
余命〇か月と言っていたのに、1年生き延びたら「詐病」と言われる。
真偽のほどは分からないが、こんなに知らない人間からの憎悪を受けながら金を儲けたいとは私は到底思えない。
この人たちも、カップルでただの旅動画を上げ続けていた時の方が幸せだったのではないだろうか。
収益を優先してしまうと失うものも多い。

今は漫画家すら、有名になりすぎてしまうとニュースに取り上げられるようになった。
不倫を全国的なニュースにされた作家が現れた時、心底驚いた。(相手は芸能人ではなく、確か編集者であった)
私が漫画家になった理由は、芸能人と違って「プライバシー」という人権がしっかり守られていて、尚且つたくさんの人に(作品が)見てもらえるチャンスがあるからだ。
まさか作家本人が注目される日が来るとは思わなかった。
動画を出したり、生放送に出たり新聞に載ったりしている自分が言うのもアレなのだが。

それにしても、TVの芸能人ばかりがニュースになってた時代からすると考えられないことだ。
YouTubeが映像エンタメとして台頭してきてからというもの
もはや「芸能人」は「誰もが知ってる」存在ではなくなった。
マスコミは扱う対象を広げて「結構知ってる人が多い」方へ舵を切った。
芸能人、ユーチューバー、作家…Web記事であれば、それこそユーチューバー等の方が親和性も高いのでアクセスも稼げる。

色々考えていつも思うのは現状の自分のポジションというのは
「ちょうどいい」。
作品を作れて、食べれて、注目もされず、SNSで相手にしてくれる人がそこそこいる。
もちろん、毎日「この連載が終わったら次の作品を描く場所は与えられるんだろうか」という不安は抱えている。
この「ちょうどよさ」に甘えていていいのかというのもある。

人間というのは一定の年収額以上になると、どれだけ稼いでも満足度は一定らしい。簡単に言うと、1500万稼いでる人と、1000億稼いでる人の満足度は同じということになる。
確かに、と思う。
上京したてで初めて連載をとり、独り暮らしを始めた頃を思い出す。
一日の食事が卵2個だった日もあったし、服も買えないし、ボロくて狭い1DKのアパートにアシスタントを呼ぶのを申し訳なく思っていた。
毎日焦燥感に駆られていた。
今は金持ちではないが、ここまで困っていない。

とはいえ、やはり連載が途切れると死ぬほど焦る。
永遠にこの焦りのループを繰り返して、死ぬのだろう私は。

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