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自分に感性がない…と思い込む前に読んでください!!

私の真実の姿

皆さま
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
Kindle作家で気まぐれオーラ鑑定士の
倉本あや子です。

このようにいつも
ご挨拶させていただいているのですが…

実のところ・・・
Kindle作家としても
オーラ鑑定士としても
生計を立ててはおりません🤭

どちらも趣味に近い……
というのが実情です😅

勿論、
電子書籍もいくつか出版させて
いただいておりますし、
以前は信頼できる人からの紹介で
有料で鑑定させていただいたことも
ありますが……
元来、収益化を目指すのが不得意なのです😢

だからと言って、
決して、お金を稼ぐことに
嫌な感覚がある訳ではありません。

お金は大切です。
大事に使います。
人のために、自分たちのために
大事に使います。

ここだけの話、
結婚以来欠かさずに家計簿も付けていますし
スーパーで買い物もします。

ごくごく普通の主婦でもある私

それが私の真実の姿なのかもしれません……。

私の不思議な力

普段の生活の中で
食べる人の顔を想像しながら料理してるとき…
太陽の光を浴びながら洗濯物を干すとき…
床を雑巾がけしてピカピカにするとき…

そんな時が一番
私らしいなと思うときなのです。

というのも
一般的には、
目には見えないオーラというものが
私にはみえるというのは……
(子どもの頃からみえてる訳ではありません)
それは、私のごくごく一部の特性にすぎないと
私は考えていて……
ですから、
そのことが、私の生活を
大きく支配している訳ではモチロンありませんが

ごく一部のそんな特性ではあるものの
ある日突然、人のオーラがみえるようになって…
どうしてみえるようになってしまったのか……
本当に不思議で
「何でだろう…」とよく考えることがあるのです。

そんなことを
考えていたからでしょうか……
先日、ふらりと立ち寄った本屋で
私の抱いていた疑問を紐解くきっかけとなる
本との出会いが……

その本は、こちらです⬇️

感性は誰にでもある

著者のSHOWKOさんによると
「感性」はセンスでも才能でもないと言います。
つまり、
特別な人だけが持ち得るものではないのだと。

そして、誰であっても
「観察する」
「整える」
「視点を変える」
「好奇心をもつ」
「決める」
この大きく5つの習慣によって
身に付けられるものだと言うのです。

こちらの書籍を読んで、
改めて「感性」というものは育むものなのだ
思ったのです!

誰もが持っている「感性の芽」

都会で育つ人と自然豊かな地域で育つ人では
自然に対する感性は当然違うはずです。
そして、
同じように自然に囲まれて生活していても
生活習慣が違えばそれぞれ感性の育ち方も
違いますよね。

その点、
私は、大都会にも住んだこともありますし
自然豊かな地域で育った経験も
たっぷりとあります。

そして、奇遇にも
この本で紹介されている
「感性のある人が習慣にしていること」の多くは、
私が普段から自然にしているコトと
重なっていることが多くありました。

この本に出会ったおかげで
もしかしたら、
たまたま自然環境に恵まれて育ったことや
何気なく積み重ねてきた習慣のおかげで
私の感性は知らず知らずのうちに
豊かに育まれて……
その結果として、
人のオーラがみえるようになったのではないか……
そう思うようになったのです。

目にはみえないものをみる
目にみえないことを大切にする

そんなことを言うと、
すぐに「怪しいスピリチュアルだ」とか
「精神論だ」とか思われるかもしれませんが、
私にとっては、それは
「日常的」であり「当たり前の感覚」なのです。

目にはみえないモノって
別に霊が見えるとかばかりではありません。

因みに、私は霊は一切見えません☺️

私達現代人の多くは、
視覚にかなり頼って生活しています。
脳の特性から言っても、
聴覚よりも視覚の方が優位の人の方が
多いとも言われています。

ですが、我々人間は元来
もっと他の感覚
味覚や触覚と言われるような五感を
フルに活用して生き延びてきた……
そんな歴史があります。

より頻繁に使う感覚ばかりに
頼って生活していると、自然と
他の感覚が鈍ってしまうのではないでしょうか。

感性は、視覚以外の様々な感覚を
生活の中で意識して使うことで
育んでいけるものだという
著者の考え方に
私は深く共感しました。

中でも
私が大きく頷いたのは、
「視覚に頼らず、見えないモノを観察する習慣を身に付けましょう」という言葉です。

「視覚」以外にも私達人間には
様々な「感覚」を感じとる感覚器官が
備わっています。

例えば、
「嗅覚」

私は、今、義理両親のプチ介護中なのですが、
義父と散歩中に様々な「香り」に
遭遇します。
「この匂いは、鈴木さんのお宅からかな?」
「お醤油の甘い香りがするから、
 今晩は、魚の煮付けかな?」
「そうかもね。
 今、ハタハタが獲れてるから、もしかしたら、
 ハタハタの煮付けかしら?」
「お義父さんハタハタ好き?
 我が家も明日の晩は煮付けにしようか?」
「それは、いいな。」
なんて、
会話しながらリハビリも兼ねた散歩を
することがあります。

また、ある日は
「雪の匂いがするから、そろそろ雪が降るぞ。」
「そうだね。冬の匂いがするね。」
「そろそろ、冬囲いをしようか……」
そんなやりとりをすることも……。

「嗅覚」だけではありません。
「味覚」「聴覚」「触覚」も私達に備わった
大事な感覚です。

今の医師は、触診はあまりしないようですが、
私は義父や義母の手や足をよく触ります。

高齢者は赤ちゃんのように
体温調整が上手く出来ないことがよくあります。
冷たくないか?
浮腫んでないか?
熱はないか?
そんなことを手で触って確認しているのです。

義父の病院へ付き添っていると、
医師との関わりも自然と出てきます。

医者になるくらいですから、
医学部を出て、国家試験をパスした
優秀な人ばかりのはずです。

医者でもない凡人の私が思うことがあります。

それは、
1人の人間の中にいくつもある臓器。
その臓器同士が絶妙な働きをして
私達は生かされているわけですよね。

しかも、高齢の義父は、1つの臓器だけに
不具合があるわけではなく、
その1つ1つがそれぞれの役目を
果たし続けて来た結果、
少しずつ弱ってきている……

自分の専門の臓器の説明をすると
後はあちらで、次はそちらでと
病院中を回り、家に帰る頃には
「今日はつまりどうだったんだ?」
そういう義父の言葉も
仕方がないことだと思いつつも……
何とか改善策はないものか……
そんなことを考えることが増えました。

義父を触りもせずに、義父の顔も見ずに
パソコンの画像やデータを見ながら
カチカチと診察内容を打ち込む医者ばかり…。

私自身もこうやってパソコンで文字を
打ち込んでいるわけですし、今現在、
携帯も活用して便利な生活を享受しています。

私ばかりではなく、
そういったモノを手放すことは
現代人には難しいことです。

でも、時々は
「視覚」ばかりに頼っていないかどうか……
省みたり、

時には
電子機器から数分でも距離を置いて
自分の手や耳、肌から
感じるモノに意識を向けたりすることで
私たちの「感性」は
動き出す気がするのです。

ですから、最近の私は
オーラがみえるとかみえないとかよりも
様々な感覚で物事を捉えることに
注意が向いているのです。

今日も最後までお付き合いくださり
ありがとうございます。

それでは
またお会いしましょう👋😃

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