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火曜日の果実

皆さま
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
Kindle作家で気まぐれオーラ鑑定士の
倉本あや子です。

先日、
山根あきらさんのこちらの記事を読んで
前々から考えていたことを
整理したくなりました。

山根あきらさんは言います。
<以下引用させていただきます>

赤ん坊の頃は、何もできない。
排泄はオムツのお世話になる。
相手がなにを言っているのか理解出来ない。
夜泣きする。おっぱいを欲しがる。
自分のしてほしいことを
相手に伝える言葉がない。
望み通りなら笑い、望まない時には泣き叫ぶ。

しかし、生まれたばかりの人生。

まわりの人々は、何も出来なくて当然だと思っているから、イライラする事はあっても、少しでも赤ん坊が微笑んでくれたなら、それで苦労は報われて、吹き飛ぶ。

老人だって、人生の最後は、赤ん坊に戻るだけなのだ。しかし、本人もまわりの人々も、老人が一人で食べたり、排泄できていた記憶があるから、「何で出来ないの?」とイライラをつのらせる。

老人が笑っても、赤ん坊のように可愛くない。どんなに苦労して世話をしても、微笑まない、当然ながら「ありがとう」とすら言ってもらえない。老人とて赤ん坊に戻っただけなのに。

山根あきらさんの記事より

山根さんは哲学的な切り口で
人の一生を捉えられています。

私には、
「哲学的発想」に憧れしかありません。

ただ、
人生の折り返しと思われる地点にいる
私にも、自分のいる季節を(段階を)
しみじみと感じることが増えました。

そんな時期に
自分はこれからの季節を
どう迎えていくのか・・・
考えてみただけのことです。

どんなコミュニティで生きているか?

私が大事にしているコミュニティを
見渡してみると ……
下は、2歳児から 
上は、90歳と
まぁまぁ年齢の幅がある集まりがある。

そうして、
そのメンバーが集まると、
自分の過去と未来の姿が、1度に見られる。

そこで、
2歳児と90歳の老人の
出来ること・出来ないことについて
観察するのは、なかなかに興味深い。

山根さんの言葉通り。

私の身近な2歳時は、
物凄いスピードで成長し、
出来ることがドンドン増えていく。
子どもの発達を周囲の大人が喜び、
もっと成長してほしいと期待もしている。

しかしながら、
成長や発育が、一般的なものから
外れることもあることを忘れてはいけない。

因みに子どもの場合は、

身長や体重の増加などが育つ「成長」

言葉を話せるようになったり、歩いたりする
知的面・運動面の育ちを「発育」

それらを総合的に判断する「発達」

と分けて考えることが多いです。

一方、

私の身近な90歳の老人は、
かつて当たり前に出来ていたことが
スムーズにできなくなったり、
難しくなったりしてきている。

動きがゆっくりになり、
とっさの判断は難しくなることも……。

どれも、(個人差はあっても)
ごく当たり前の変化だが、
なかなかそのことを
受け入れられないことが多い・・・。

特に、
本人が一番ガッカリすることが多いようです。

しかしながら、
自分の「老い」をごく自然に受け入れて
不便なことはあっても、
知恵と工夫で上手に楽しんで生活している
そんな高齢者も結構います。

何が言いたいかというと、

「若いっていいなあ~」という話でもなく
反対に
「年は取りたくないなあ~」って
ことでもなく、

【発達】というものは
一般的な話で一括りにすることは
なかなかできないなあ
と思うのです。

そして、

ありのままを笑って受け入れることから
全てが始まるんだなあ

感想をもった次第です。

成長の先へ

最近では、
お母さんのお腹の中の「受精卵」から
「死」に至る一生の変化を「発達」と
とらえるようになっているようです。

そして、
人の一生を連続的な発達の過程として
「生涯発達」と呼び、
子どもだけではなく、その身体的な変化に応じた
心や行動の変化についても
どうしたら心地よく・安心して生活できるか?
ということに目を向けられつつあるとのこと…。

確かに、
20歳を過ぎて
身長が伸びるなどの成長は止まっても
実際に社会に出てから
知的な行動や社会的な活動が
向上していくことを実感することはあります。

年を重ねることはマイナス面ばかりでは
ありませんものね。

たとえば
本を読み返したときや音楽を聴いたときに、
歳を重ねたからこそ感じる味わい深さがあったり…

若いときには考えが及ばなかったコトにも
経験の積み重ねにより
うまく対処できるようになったり…など

歳を重ねるからこそ出来るようになることも
忘れてはいけない気がします。

でも、それは成長と言うよりも
「成熟」なのかも知れません。

あなたがリンゴなら今どの段階?

話を少し変えます。
リンゴの木に例えて考えてみました。

リンゴの木が成長して
やがて、実がなる。
実は赤く成熟し、いずれは朽ちる。
朽ちたリンゴの種からまた新しい芽が出る。

さあ、あなたがリンゴの木なら
どの段階にいますか?

芽が出たばかり?
グングン成長している最中?
花が咲いたころ?

因みに、リンゴの木にも種類があり
必ずしも同じ時期に花が咲くとは限らない。

人間の発達の段階も
なんだか似ている気がしませんか?

ちなみに、
私をリンゴの木に例えると、
もうすでに花は咲き終わって
実になっている頃です。
これから、
さらに熟していずれは朽ちる。

これは、「そういうものだ」と
受け入れるしかありません。

ただ、熟したリンゴが
ごろごろと目の前に落ちていたら
私なら「もったいないなあ~」って
きっと思うに違いありません。

完熟ジュースとか・・・
お酒の原料にするとか・・・
ジャムなんかも・・・
イイかも知れませんよね。

そんな風に
自分の発達を笑って受け入れて
これからの季節を迎えていけたらなと
前向きでも後ろ向きでもなく
ふわ~っと考えた火曜日でした。

今日も最後までお付き合いくださった
感性豊かな皆様、
誠にありがとうございます。

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それでは、
またお会い致しましょう➰👋😃


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