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一人百物語 ~ほんとにあった私と私の周りの怖い話~いつつめ

「神様が授かる」という方々を知っていますか?

いわゆる「神憑り」という方々なのですが、そういう方々の一部は、免許を取り、ご自分に降りた神様を正式に登録し、お祀りする神職に就く方もいらっしゃいます。
一般の神社のように大きな敷地やお社を建てるわけではなく、ご自宅の一角に祭壇を設け、口コミで集まった氏子さんとまでいかないまでも、頼りにする方々のために神事や相談を受けるのです。
そのため、普段は普通のお仕事をしていらっしゃる方がほとんどで、おおっぴらに公言している方も少ないようです。
当時お金儲けを主軸にしてそうな新興宗教の教団の問題が頻繁にあり、「メジャーでない宗教はすべて悪質カルト」みたいな乱暴な認識が広まってしまっており、昔から地元にいらした「拝み屋さん」なども、いわれのない批判にあったりしたようです。

「おばさん」は、そんな「神憑り」の方でした。
白竜神様をお祀りしている一方で、バリバリお仕事をしている旅行好きの人でした。
私の祖母の同級生だったことからご縁ができたようですが、私が初めて会ったのは2歳のころでした。
母に連れられてよく「おばさん」の元に訪れては、定期的に行われる「神様の日」でお手伝いをするのです。
3歳ごろの私の仕事は、太鼓をたたくことでした。
「おばさん」が神事用の衣装に着替え、祝詞を上げている間に太鼓をたたくのです。
祝詞が終わるころ、「おばさん」の様子が変わります。
相談に来た方にまつわる存在が、「おばさん」に乗り移るのです。
「おばさん」は霊媒でした。
ですから「おばさん」が何かに憑依されている間、その言葉を聞く「聞き役」が必要になります。
母をはじめとして数人、そういった方がいたようです。
私はその様子を、太鼓のそばでじっと見ているのです。
不思議と退屈に思ったり、怖かったりすることはありませんでした。
「おばさん」の様子が変わるときも、今は「おばさん」ではないモノが話し、動いているのだと、なぜだか理解できました。

色々な方が来ていました。まさに老若男女、どこからか「おばさん」のうわさを聞いては県外からでも訪れていたそうです。
特にお盆やお彼岸はすごく、一度に十人ほどが部屋に入ることもありました。
「おばさん」には次から次へと様々なものが出入りし、収拾がつかなくなって中断することすらありました。

息子を案じるおばあちゃん
家族にメッセージのあるご先祖
恨み言を言ってつかみかかる女性
暴れる男性
むやみやたらと床を這いつくばる人
時にはキツネや牛などの動物が語ることすらありました。
「聞き役」の人は「おばさん」の中に入ったそれらの存在から話を聞き、あとから「おばさん」に伝えます。
「おばさん」は憑依されている間も意識はあるらしく、その間に感じた情報を意識が戻ってから「聞き役」の人から聞いた話の内容も踏まえて、相談者の方に相談の対処方法を伝えます。
儀式中に相談者の方の除霊は済んでいることがほとんどで、足りない場合は何度か足を運んでもらうこともありました。

もちろんそんな平和的なケースばかりではありません。
一人の人に数時間かけて行う、壮絶と言える除霊も何度もありました。
そんな時にはいつもは「聞き役」の人たちも、読経のサポートに回ったりもするのです。

私は目の前で繰り広げられるその光景を、じっと見ていました。
あとになって、これらの時間は全て修行だったのだと聞かされました。
つまり私にも何某かの素養があって、修行が必要だったということのようです。
ありがたい限りです。
おそらくそのおかげで、私は何かの危険から回避できているのだと思います。
今でも「おばさん」の教えてくれた修行場には足を運びますし、神社仏閣にもパワースポットにも頻繁に訪れます。
私にとってはそれらに訪れることが修行にもなるようで、また、必要なことでもあるようなのです。
これだけ色々な経験をすれば興味も湧くもので、それらに関係する知識も増えました。
「おばさん」がどこまでわかっていてくれていたかは聞いたことがありませんが、不思議なことに遭遇する機会は多いのです。
感覚的なことではありますが、年を重ねるごとに、それらへの対処方法も学べているように思います。
思い返せば、お茶飲んでお菓子を食べながらする「おばさん」との会話は、勉強の場だったのかもしれません。
「おばさん」の経験譚や目に見えないものに対しての向き合い方、経の重要性など、世間話の合間に挟まれるそれらは紛うこと無き特殊な知識でした。
私がそれらを聞いていたのはほんの幼いころでしたが、今もきちんと覚えているのです。

普段は珍しいものが好きな明るい「おばさん」のことが、私は大好きでした。
本当の祖母のように慕っておりました。
「おばさん」が亡くなってしばらく経ちますが、その命日は私の誕生日と一緒で、「おばさん」が私を気にかけてくれていた証のような気がして、お墓に彫られたその日付を見るたび、ありがたくもうれしくなるのです。
幼い時「おばさん」が私を呼ぶ「あやちゃんこ」の響きが、今も耳の奥に残っています。

私と「おばさん」の話です。

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