見出し画像

あやのひとりごと #1

このnoteは、私の今の頭の中をダダ流し的に文字起こししたメモ帳である。
“発信”や“自己開示”に大きなハードルを感じるわたしの「発信の練習/実験の場」でもある。
これを書き始めた今も、周りからの目や“伝わるように書かなければ”と構成や見栄えが気になったり、扱う言葉をしっかり選びたいと思ったり、いろいろ不安でしょうがないが、(大して見る人はいないのだろうとも思いつつ)、そんなこと無視に、テーマや脈絡も気にせず、ただつらつらと気の向くままに頭の中を外に出す「練習/実験」を続けてみたいと思う。

きっかけをくれた“とある人”ありがとうございます(^.^)

では、さっそく!
(といいつつ、本当はこれを始めるに至った経緯とかをちゃんと書きたいんだよな~と頭を過るが、腰が重くなるので笑 いきなり切り出していこう。)

今回は、今朝、対話仲間と話したことやその時の頭の中を留める。

◆これからやりたいと「今」思っていること

〇コーチングまわり
・クライアントさんを増やす
・対話的関わりの場や学びの場をコーチ仲間と企画・提供
・行政職員さんへの(意志ある・未来を見据えた)事業立案や事業設計のサポート、マインドセット
・教育業界(学校の先生や子ども、子どもたちに関わる人や組織)への対話的関わり合いの場づくりや手法を伝えていくこと
*これらをやりたい想いの丈はまた別で

※コーチングをしたいわけではない。自分がコーチングを通して学んだこと、得たこと、感じたことを少しでも広げていくことで、「自分にも他者にも優しくなれる人、大切にできる人」「自分らしく自信をもって生きていける人」が増えると思うし、それがより良い社会をつくっていきたい自分のミッションにつながると確信しているから。

〇場づくり
多分野、多世代がまじわる場づくり
→リアルな場がつくりたい。でもそれ以外の方法もありそう。
→イメージは0歳~おじいちゃんおばあちゃんまで。それぞれが好きなことをのびのびできる。何か目的を持つというよりは、場を共にすることで自然と支え合える、学び合える、つながれる、心がゆるむ場、みたいな感じ。

〇写真をとる、写真集つくる
私は写真を撮るのが好き。その瞬間にレンズを通して見える世界に没入する、その瞬間を残せる、それを見返すのが好き。その時想いを込めて撮った写真は、音も匂いも温度もその時の感情や悩み事さえもよみがえる。写真を見てすごい!きれい!うまい!と言ってもらえるのも嬉しいが、それよりなにより自分が満たされるので写真を撮るのが好き。

初めてのアルバイトの給与で一眼レフを購入してから、11年程経つ。以前は日々持ち歩いていたのに、最近はそれを手にして楽しむことを忘れていた。また再開したい。自然の風景や暮らしの中のふとした瞬間を切り取るのが得意だ。必要としてくれる人がいるのなら、撮影させていただきたい。

島暮らしをしていた時に撮り続けていた写真も、それを見てとても喜んでくれる島の人たちがいた。「アルバムにしてプレゼントしますね!」なんて言ったのに7年くらい経っちゃった。今でも会うと「あなたの写真は良いよね~」と言ってくださる。写真集にしてお届けしよ。

〇コンサル的なこと
と書いてみたが違和感である。私は地域コンサルに勤めている。が、入社したときからこの名前はなんか気に入らない。“コンサル”とつくだけで煙たがられ、嫌がられるし、壁をつくられることを散々経験してきた。
だから、“コンサル会社のわたし”ではなく、“わたし”を受け入れてもらおうと想いと志をもって仕事をしてきた。

やりたいことは変わらない。
「より良い地域(社会)、未来をつくる」「子どもに誇れる、自信を持って受け渡せる地域をつくる」このために活動している地域組織や個人や行政や学校を私ができる形でサポートしていきたい。

これまでの経験を活かして得意とするところは、たくさんの声を集めた現状把握やそれをもとにした中長期計画づくり、ビジョンづくり、行政連携、地域連携、ネットワークづくりなどかな。それを形式ばらず、畏まらずに良い意味でゆるくやること。(「コンサルっぽくないね」とよく言われていた。それが嬉しかった。)

◆仲間がほしい

なかまがほしい。この数年ずっと言い続けている気がする。

自分は与えられた任務をわりと1人でいろいろやりこなせてしまうほうではあると思う。けどもう疲れた。やりこなすためにとてつもなく神経をすり減らしてきた。そしてそれはとてつもなく不安で孤独。

1人でやりこなすことはできても、創り出すことには限界があると知った。自分1人で0→1をするのは苦手だとも気づいた。自分の成長も可能性の広がりも頭打ち。自分は人と何かをすることで自分の可能性が広がり、眠っている力も発揮できるタイプなんだろうなということにも気づいてきた。

だから今、人と何かをしたい欲がとても高まっている。
以前のようにパワフルな自分になりたい。

◆どんな仲間がほしい?

・年が離れすぎていない(感覚だけど上下10以内くらい)
・安心安全な関係を築ける
・志をもっている、やる気や覚悟をもっている
・「地域(社会)、未来をよりよくしたい」「子どもたちのために」の想いを持っている。そのために自分の命(時間)を使っていきたいと思っている
・まじめさよりユーモアを持っている(上記がベースにあることは前提として。自分がまじめになりがちだから)
・あーだこーだと語り合うことを苦としない、互いに受け入れるマインドを持っている
 →「え、それいいね!こんなしたらどう?これはどう?え、素敵じゃん!」こんな感じで、頭の中を、想いの丈を出し合っていたら何かが企てられちゃったみたいな感じが最高

◆こんな仲間に出会った自分はどうなる?

・めっちゃ楽しんで志事をしている
・やる気、覇気がある
・モチベーションが高い(アンテナの張り方、受け取り方がエネルギッシュ、スムーズ)
・自分が成長していると感じられる、知見が増えていく
 →仲間から得られることはもちろん、自ら意欲的にキャッチアップ、吸収していく
・自分の可能性が広がっていきそう
 →自分ひとりではできないこと、できないと思い込んでいること、やる気が出ないことにも、積極的に取り組んだり、一緒に一歩目を踏み出したりができる

◆仲間と何したいの?

なんだろう。ここが明確じゃない。スパッと言えない。
でも、ないわけじゃない!!
今は「これ!」ってものをうまく整った形に言語化できない。きっとそこからも、誰かと一緒に考えていきたいのだと思う。

けど、ざっくりと、壮大なテーマで言うと、この2つかな。

①「優しい世界、生きやすい世界にしていきたい」
日常に当たり前に安心安全な対話の場がある状態を創りたい。
(“安心安全”って最近よく聞くけど、ここは自分なりの表現で分解していきたいな。)

●「日々の生活の中でやれること」
→ライフコーチとしての活動、対話の場づくり
自分が体感して進みだせたように、ありのままの自分を受け入れること・信じること、他者を信じること・頼ること、それが次への1歩になることを伝えたり、応援していきたい。

●「社会の仕組みとして」
→行政へのアプローチ
これまで行政案件に携わってきた経験から、“とりあえず予算を使うために”、“時間がない”、“お金がない” こんな理由で動く公共事業をたくさん見てきた。個人ではどうにもできないことをつくっているのは行政だ。仮に個人がよりよくなっていっても、社会の仕組みが変わらねば、結果変わらないことも多い。社会をつくる大きな役割をもつ行政がもっと意志もって、未来を見据えて事業を進められたら、より良い社会に大きく近づいていけると思う。そのサポートをしていきたい。
(もちろん、熱意溢れる行政マンによる想いのこもった事業もたくさんだ)

②「個々の可能性、自由度を広げたい」
自分の経験からも、周りを見ていても、これに制約をかけているのは、家庭環境や “学校”という環境、大人の子どもへの関わり方が大きな要因だと思う。幼い頃からの経験や浴びた言葉が、「じぶん」というものにどんどんフタや鎧や壁をつくってしまい「じぶん」というものがわからなくなったり、信じられなくなったり、世の中の“ふつう”というものに縛られていってしまうのだと思う。

そんな人生、窮屈だ。残念だ。

だから、特に学校の先生や子どもと関わる人には、子どもの可能性を信じることを伝えていきたいし、そんな関わり方も伝えていきたいし、自分も学んでいきたい。子どもたちには「それでいいんだよ!」と身近な応援者になりたい。悩む大人には、一緒に悩み探ることでサポートしたい。

本日の脳内解剖は以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?