PublicServiceMotivationとごきげんマネジメント
週末に、弟のところに生まれた子どもの、お食い初めという儀式に顔を出してきた。当日の赤さんご本人はおとなしく、大人たちの行事に付き合ってくれた。生後3か月の赤ちゃんに対して、周りの大人たちは常にごきげんを伺い、配慮している。自分のことが何もできない存在なので、周りが衣食住からごきげん伺いまで、すべてを手配してくれる。
大人になるとそうはいかない。自分のごきげんは自分でコントロールする必要がある。ごきげんに活動するためのきっかけを「モチベーション」と呼ぶというのが私なりの定義であり、自分の仕事上、NPOとかNGOとかソーシャル系の団体がモチベーション高く働くことに、特に興味軸を立てている。
海外にはPublic Service Motivationという分野があるらしく、英語の論文を一生懸命読んだりもした。せっかくなので記しておくと、
と定義されている。アメリカの研究では、4つの指標が開発されていて、①政策形成への関心、②公益への関与、③思いやり、④自己犠牲がその構成要素とされている。
これはたぶんだけどキリスト教文化の言い回しだと思い、なかなか解釈が難しい。実感が沸かないというのが正直なところだ。本当はこの分野をとっかかりにして、個々人が自分の働くモチベーションを自覚したり強固にしたりして、結果組織のためになる・・・というところにたどり着くのか検証してみたいとも思っており、PSM理論をご存知の方がいたらつながりたい次第。
そういうこともあり、モチベーションを下げる要因としては大きい、人間関係の捉え方、という方向に興味軸がシフトしている。関係性の質の上げ方とか、心理的安全性とか、良いに決まっているのに実業務的に広まっている気がしないテーマに入りたいけれど、ぴったりくる言葉をうろうろと探している。
そもそも、お客さまなど外部のために提供する仕事のプロセス自体は楽しいのに、自社・自団体内のコミュニケーションで消耗すること、ありますよね?っていうか、多くないですかね?それは、個々人のポテンシャルが活かしきれていない状態なので、とても勿体ないと感じている。
マネジメントの父と言われる、ピーター・ドラッカー先生は、「私的な強みは公益である」と仰ってるそうだ。NPOやNGOは公益のために存在している。つまりソーシャルセクターこそ、個々人の強みを活かすべきである。
良いことを言う人はたくさんいるのに、そういう場がなかなか実現していないように見える。きっと、方策は「場合による」ことが多いのだろう。じゃあその場合ってどこをどう切り取って見極めるのか。話し合っている場で、場の雰囲気や個人個人のクセ、話題が合ってない、訊きたいことが訊けていない、話したいことが伝わっていない、そんなことを少し交通整理するだけで、「場」の方向性が見えてくることもある。そんな場づくりのエッセンスを広げて、各個人のモチベーションを最大に活かしていきたいと思っている。
赤ちゃんのごきげんについても、家族とか近しい人だとものすごい配慮する一方で、電車の中など赤の他人だと途端に厳しい目を向けることもある。これも「場合」かもしれない。内と外、家族と世間、個人と社会の考え方捉え方。同じ赤の字だけど、語源はそれぞれ違うようなので、色は見極め基準にはならないようだけど。
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