見出し画像

コロンバス〜東京、入国から隔離まで。

もう一ヶ月以上前の話になりますが、アメリカオハイオ州時間の5/6に約四年間過ごしたオハイオ州・コロンバス市を離れ、日本時間の5/7の午後2時に東京に無事着陸しました。今回はアメリカを旅立ち、日本についた後に空港でのPCR検査、政府が指定したホテルでの待機、及び二週間の隔離期間について記録したいと思います。

5/6  午前5時、オハイオ州・コロンバス市

午前6時ぐらいの飛行機でシカゴに行き、そこから羽田空港行きのJALの航空券を予約していたので、五時ぐらいに家を出て、友達の車で空港まで送ってもらいました。空港へ向かう高速道路に乗る時、必ず右側に並ぶ高層ビル群とコロンバスを象徴するダウンタウンが見えるのですが、いつものように輝いて見て、とある高層ビルには「STAY STRONG」と表示されてました(コロナの影響で当時コロンバス市もまだロックダウン中)。毎回空港に向かう時やコロンバス市の家に戻る時に必ずダウンタウン通るので、その度に「またコロンバスに帰ってきたんだな」と実家に帰るような安心感を覚えました。どんどん視界から消えていくダウンタウン・コロンバスはいつものように、また太陽が登ってないコロンバス市を明るく照らし、この光景はまるで、僕へ「行ってらっしゃい!」と語りかけているようでした。

空港に行き、JALと同くワンワールド・アライアンスに属するアメリカン空港のカウンターに向かいました。すると、シカゴから羽田に向かうJAL便が既にキャンセルされていると通知され、少し焦りましたが、「大丈夫ですよ、必ず、今日中に日本に行ける便を探して見せます!」と係員に言われ、少し待つことにしました。そしたら、隣のUnited 航空のカウンターの方から、「今日午前出発でシカゴから成田に行けるANA便を手配しました!」と係員が迎えにきてくれて、なんとか東京に帰る航空券が取れ、安堵しました。その後はスムーズに手続きを全て済ませ、午前7時ぐらいにコロンバスを旅立ちました。

5/6  午前8時、シカゴ空港にて

シカゴ空港に着いたら、お腹も空いたので、マックを食べながら飛行機を待つことにしました。いつもなら渋谷スクランブル交差点並みに混んでるシカゴ空港はあまり人も無く、人々の足音とスーツケースを引きずるときの「ゴロゴロ」音もはっきり耳に入るぐらい静かでした。少し経ったら、到着したばかりのANA便がターミナルに近づき、搭乗客がゾロゾロと降りてきました。ANA飛行機がゆっくりとターミナルに入ってきた時、清潔感のある白と青塗り、「ANA Inspiration of Japan」の文字、そしてその隣に並ぶ日章旗を見て、瞬時に「日本だーー!!」と安心感、安堵感で涙腺崩壊するほど感動を覚えました。

画像1

(シカゴ空港のUNITED 国際ターミナルにゆっくりと入ってくるANA便)

さらに少ししたら搭乗開始。以前に帰国した友達の話によると「自分で席を選べるほどガラガラだよ」と聞いていたにもかかわらず、その日は満席でした。まさに三密です。

画像2

(搭乗時)

約十時間のフライトは映画3本、スイッチのゲーム、そして寝て過ごしました。機内食も和食がメインで、美味しかったです。

5/7 午後 成田空港にて

午後2時ぐらいに着陸、そして無事に東京につきました。普段ならば、全ての搭乗者が一斉に降りるのですが、検疫もあり、機内全ての乗客が三つのグループに振り分けられ、各グループ順番に降りていくことになりました。そのグループ分けが、1)国際線乗り継ぎ利用の搭乗客(東京からまた東南アジア各国へ行く人達)、2)日本入国者で、自宅待機もしくは友人・家族の迎えが可能な搭乗客、そして3)日本入国者で、自宅待機できなく、友人・家族の迎えも手配不可能な搭乗客。僕は三番目に入るので(日本に家族もいなく、実家はあるけど住めない)、一番最後に飛行機から降りたのですが、着陸から飛行機を降りるまで一時間以上かかりました。ちなみに、殆どの搭乗客は1番目に当てはまり、国際線乗り継ぎ利用の搭乗客が降りた後の飛行機は瞬時にガラガラになりました。

画像3

(国際線乗り継ぎ利用の搭乗客が降りた後の飛行機)

ちなみに、着陸前に、入国後の検疫及び二週間以内の隔離期間においての注意事項が細かく記載されたプリントが何枚か渡され、全ての目を通した後にサインをして、検疫の際に数枚を提出する必要があります。

画像4

(飛行機内で渡されたプリント。名前の部分は伏せておきました。)

飛行機を降りたら、ソーシャルデイスタンスを取りながら列を並び、検疫所にて入国前に滞在した国、帰国の目的や住所などを聞かれ、その後にPCR検査を受けました。長い綿棒のような物で、鼻の中からサンプルを採取する仕組みなのですが、これがかなりきついです。くすぐったさと痛みを伴い、たったの数秒間ですが、PCR検査が終わった後も鼻のムズムズ感と痛みがしばらく残りました。

PCR検査の後は自分の荷物を取り、空港の待機場所で政府が指定したホテルまでの送迎バスを待ちました。少し前にTwitterなどでも話題になったように、ダンポール箱を組み立てて出来たベッドがいくつも並んでおり、一回待機場所に入ったら、お手洗い以外自由に出入りできないようになってます。少し前までは、政府が指定したホテルが満室状態になり、やむを得なく、空港の待機場所で数日間も寝泊まりする人もいると読んだので、その時に比べたら幸いでした。

画像5

(例の待機場所)

そして、待つこと三十分ぐらいで、バスに乗り、成田空港付近の政府が指定したホテルへ移動になりました。バスの中の咳や窓は全てビニールカバーで覆われており、車内でもマスクやソーシャルデイスタンスなどを要求されました。そして、政府が指定したホテルに着く前に数枚のプリントを渡され、滞在期間とPCR検査が出た後の残りの隔離期間の滞在場所、連絡先などを記入するように言われました。また、ホテルに着いた後、一人一人に管理用番号(?)と客室番号が振りあてられました。

画像6

(滞在期間とPCR検査が出た後の残りの隔離期間の滞在場所、連絡先などを記入するプリント。個人情報は伏せておきました。)

画像7

(移動用のバス)

画像8

(隔離用の部屋。)

部屋に着いたら、もう午後5時半ぐらいになり、お腹も空きました。一人一人に個室が与えられ、食事は部屋の入り口の所まで届けられます。最初の二日間(PCR検査が出るまで)は、食事を取る以外の目的でドアを開けることさえも禁じられ、ドアを開ける際もマスクの着用をする事らしいです。

画像9

(晩ご飯。基本的にはこの様に、おかず、サラダとデザートが詰め込まれた弁当箱とおにぎり2つ、お茶、ジュース、ヨーグルトが毎食ついてきます。)

画像10

(朝ごはん)

ちなみに、最初の二日間(PCR検査が出るまで)の食事代と部屋代は全て政府が負担しているので、個人的にお金を支払う必要性はありません。しかし、陰性が確認され、残りの間の隔離費用(食事やホテルなど)は自己負担です。

二日後の朝に電話がかかって来て、陰性でした。そして、提供された朝と昼ごはんを食べ、午後にまた他のホテルへ移動して、二週間の隔離期間を過ごしました。

以上が、コロンバスを離れ、日本に入国し、隔離期間を終えるまでのまとめでした。これから帰国を考えてる方々にとって少しでも参考になったり、もしくは「こんな感じなんだねー!」と少しでも思ってくれたら幸いです。

ではまた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?