21○父、初めての入院


私は、仕事の休みを貰った。


とにかく毎日、子供達を連れて
父の行きたい温泉に行った。

夫も休みの日は一緒に行ってくれた。

父は色んな温泉を知っていて、
本当にアチコチ行った。

帰りには父の行きたいお店でご飯を食べたりした。

弟一家も、休みの日には来てくれて、毎日楽しく過ごした。

その頃、父は新小倉内科の主治医に、
「先生、ワシは何か悪い病気なのですか?

息子は子供の頃から、優しかったので解るのですが、

ワシに激しいで、ウルサイ娘が最近優しいんですよ!!

わしは、死ぬ病気なのですか?
娘が優しいとか、ワシはもうすぐ死ぬのですか?」


と毎回も聞いてたらしい!(笑)

ナースから、この話を聞かされた時は、
(私そんなヒドイ娘だった?)
そんなに態度変えてたか!
とヒヤリとした。


弟と義妹、夫と相談して、

泊まりで温泉旅行に行く計画もたてた。

父に行きたい温泉を聞くと、
久山温泉と言うので、

大人5人、子供4人の予約を取った。

家に集合し、車2台で高速に
乗って
久山温泉のホテルに到着した。

一泊だというのに、大荷物を持って来たので、ホテルマンが迎えに来た。

この旅行が終われば、父は入院の予定だったので、
とにかく皆で、父を楽しませた。


地下には、鍋の食べ放題があり、
初めて見たので、皆でたらふく食べた。

孫、女の子2人、男の子2人、
父のお気に入りの義妹、夫、優しい弟に囲まれて、父は涙ぐんでいたらしい。


2階には、とても雰囲気がお洒落なラウンジがあり、

子供達は、私が見ていて、
他のお酒が飲める弟、義妹、夫が
父と楽しくお酒を飲み交わした。

私はもう遊び疲れた子供達と寝ていたので、いつまで飲んでいたか解らない。

朝もお風呂に入り、サウナに入り、朝食を食べて、宿を後にした。


父の入院。義母が応援に来てくれていた。
昼間は義母が、父とお喋りをして、


私はときおり仕事に呼ばれていたので、
夜は私が付き添った。

父は大部屋を嫌い、個室に決め、背中に貼られたモルヒネのせいで、少しおかしくなってきてた。

ある日、部屋のクーラーが効かなくなったので、別の病棟の部屋に変えられた。


父はTVを見ていたので、

私は雑誌を見ながらゆっくりしてたら、


父が、「おい!ここは、北か?」
と言うので、


東病棟から、北病棟に部屋を変わっていたので、


「うん!北よ!」と答えると、


父は、急いで携帯電話を握りしめて、
「車椅子持ってこい!」
と慌ててる。


車椅子を持ってきて、父を乗せて、
「何処にいくん?」と聞くと、
「とりあえず、外に!」
と言うので、
駐車場を散歩してたら、父が携帯電話を出し、弟に電話をしだした。

「おい!!聞いてくれ!
姉ちゃんと、ワシは二人で、北に拉致されてるけど、

こんな年寄りの役立たずと、若さも美人でもないオバさんを拉致して、どうするんかの?」


と本気で言っていて、

さっきまで、父が、北朝鮮の拉致事件のTVを見ていたのを思い出して、大笑いしてしまった。

そして、私が笑っているのをみて、
「姉ちゃんに騙された!」
と勝手に電話を切っていた。

父は酸素を鼻から吸わされていて、
部屋は広いし、直ぐ外すので、
酸素のチューブを、
部屋の何処にでも届くように、長くされていた。

でも、父はチューブを、6回転位させて、肩にかけて、

元栓を抜いて、チューブだけを
つけたままウロウロしていて、
良く怒られていた。

父は、定年退職しているのだが、営業マンだった。

ある日、弟から「すぐ来て!」とのヘルプが入り、
車で病院の駐車場の所まで行ってみると、

父がパジャマの上から
ポケットが沢山あるチョッキを着て
鼻には酸素のチューブをつけて、
又元栓を抜いて、何回点もさせて
持ちながら、

「商品が遅れたら、お客様にどれだけ迷惑かかるのか、
お前達は
解っているのか?」
と怒鳴っていた。


私の車の助手席に乗り込み、
弟を後ろに乗せ、
「直ぐ会社に向かえ!」
と言うので、
駐車場を何往復もして、
父が落ち着く迄私達は、
ひたすら駐車場をグルグル回った。


何人かのナースが、父を探しにやって来てくれて、

「井上さん、何処に行くの?」
と、お気に入りのナースが来て、

営業マンだった頃の気分になっていたのだろうが、
やっと落ち着き、部屋に戻れた。

モルヒネでボケた父は、とにかく面白くて、可愛く思えた。

父の体には、色んな機械が付けられているのに、
病院のご飯が美味しくないからと、義母に自分のご飯(病院食)を食べさせて、
自分は2階の食堂で好きな物を食べていた。


肺気腫なども、何度も起こし、安静にしないので、父の部屋の入口には、部屋の外に出ようとしたら、
ナースステーションのコールがなる。というマットもつけられた。


そのマットも、ヒョイと飛び越えて、部屋から出てしまうので、そのたび
怒られていた。


私はK−1の(シリル、アビディ)が
好きで、彼のTシャツを好んで良く着ていた。背中に(極悪童)とか?
プリントされてるそのTシャツを
父は「お前の事書いてる、その服、着てくるな!」と嫌がった。

後、背中に(無責任)とプリントされてるTシャツも嫌がった。

それが可笑しくて、
毎日日替わりで
どちらか着て行った(笑)


入院生活を送った事の無い父は、だんだんストレスが溜まってきた。

束縛されてるのと、点滴に繋がれているのを嫌がった。


父は、可愛くて若い美人なナースが注意しに来ると、
「は~い!」と


大人しくなるのに、
笑顔も出さないオバさんナースの言う事は
ガン無視して、聞こえないフリをしていた。


弟の次男が、歩き始める頃には、(レジで可愛い若いお姉さんの所にしか並ばない)と聞いていたので、(これは父の遺伝子かー!❣)
と笑った!(笑)


私は、母が穏やかに最後を迎えれた、独立型ホスピス聖ヨハネに転院するのを決めていた。

その頃のヨハネは、大型のセラピー犬がいたので、
私が幼い頃可愛がって飼っていた、凄く頭のいいドーベルマンをまた飼いたいと、
ずっと言っていたのを思い出し、
そのドーベルマンに似た大型犬が居たので、父を説得した。


新小倉を退院する時の、料金が、めちゃくちゃ高かったのを覚えている。




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