⑰大好きな母の笑顔


母がずっと眠ってる間に、祖母と
写真を選んだ。


慰霊写真だ。


祖母が一番好きな母にしようと決めていた。

父が典礼会館の互助会に入っていた為、相談に行くと、
写真をビデオ用に20枚程選んでください。との事なので、


それも全て祖母に選んで貰った。


祖母は戦争中に、母を生んで一人で育てたらしい。


叔母は祖父が戦争から帰ってきてから、生まれたらしい。


たった一人で育てた母に、
先立たれた祖母の気持ちははかりしれない。

ずっと祖母が居てくれたから、
私は介護頑張れた。
本当に感謝している。

急に、母が亡くなると絶対私はパニックになると思い、

祖母が選んでくれた写真を持って
打ち合わせに行った。


先ず、棺桶、天女の姿が彫ってあるやつを選ぶと、典礼会館の係の人が
「お嬢様、これは燃やして無くなるのですよ!」と慌てた。

「そんな事、馬鹿な私にだってわかります!」


係の人「いや、お値段が張りまして、、、」と冷汗をかいている。

言われなくても、
値段は、キチンと書いてある。

「もしかしてカタログにはあるけど、本物は無いの?」と聞くと、


汗をダラダラ流しながら「有ります!」と答える。


母は菊の花が嫌いだった。

「母は、菊が嫌いなので、一切使わないで!」と言うと、


「じゃあ何を?」と聞くので、

「カサブランカが好きね!沢山入れて!後は、菊以外ならお任せするから。」
と言うと、さらにダラダラ汗を流しながら、
「菊が無いと土台が作れないので、土台だけ、使わせて下さい!」と拝まれた。

「でも、カサブランカを沢山だと、お花代が入ります!」
私「了解、してます。」

骨壷は、綺麗な花が描かれて骨を沢山持って帰れる大きいのにした。

服は一番良いシルクの着物


霊柩車は白い大きい外車を選んだ。


係の人が「あの~、何人位、来られるのですか?」と聞いてきた。

それは私ではわからないので、
父に電話して、
「ママの葬式、何人来る?」
と聞いたら「20人位じゃないか?」と言うので、それを伝えた。

写真の順番だけ、伝えて、帰ろうとすると、「お返しは、何が良いか?」

と聞かれたので、オススメを聞くと
「これは、ドコドコのうどんで〜」


と言うので、「じゃあそれにして!」


と、通夜と葬式の物を別の物を別を選ばないといけない。と言うので
じゃあオススので!と言ったが、何だったが、忘れました!

「それより、ここは御礼状は自分で書けないの?」と聞いた。


私は書きたかった。

「それはしてないのですよ。」
と申し訳無さそうに言う。

かなり粘ったが、決まりなのだそうで、泣く泣く諦めた。

「火葬場迄のバスは?」と言いかけて、さっき20人と言ったことを思い出してか、黙った。

必ず、必ず、お迎えにあがりますので、
病院の指定してる所に、絶対に電話しないで下さい!

とパンフレットと、電話番号の所にマッキーでマルを付けて、渡してきた。

ずっと母と仕事をしていた同僚の方が、満潮と引き潮の時間が書いてある物を、3日毎に届けてくれる。


「この時間は、絶対にお母さんの所から離れちゃ駄目よ!」
と解りやすく色のペンで書いてくれる。


そして、母の携帯から聞いた事ある名前の人達に電話をかけて、「もうソロソロ危ない。」と
知らせる。


私はペンで塗られてない時間は、アレコレ用事を済ませていたので、叔母から、「○○さんが来てくれた。」と毎日の様に聞かされた。

これ、20人超えるんじゃない?
と思ったが、多目に用意しておくと聞いていたので、気にしない事にした。

夜は祖母が居ない時は、必ず母の隣で寝た。

祖母が居る時でも、ペンで書かれてる時間は病院に居た。


毎日の様に家族室に、寝泊まりした。


この時は母は眠っていたので、

部屋に行くと会えたし、顔を触ることも出来た。


母が居なくなるということが、
どれだけの恐怖かをまだ私は知らなかった。


母が、亡くなってから、私は地獄を見る。


6月26日、母が亡くなってみて、ただ、生きていてくれる事が、どれだけ私の支えになっていたかを思いしらされる。


皆、ひとしきりお別れした後、
担当の3人で、体を綺麗にしてくれるとと事で、

下のフロアで、主治医と色んな話をした。


夜中に亡くなっても、昼までヨハネにいる家族も多いらしい。

そうだ!一応典礼会館には電話しとかないと!


お風呂に入っているので、ゆっくりで良いです。


と伝えたにも関わらず、電話して15分後には、玄関に来ていた。


母を見に行くと、髪の毛をドライヤーで乾かしてもらっている所だった。


もう、母の髪の毛をブローする事は無いと思うと、
涙が出て来て、
止まらなかった。

母を乗せた車に一人だけ乗れると言うので、祖母の事も考えてあげれずに、乗り込んだ。

会場に付くまで、今迄我慢してた分を吐き出すかの様に大声で、泣いた。

母が、布団に寝かされる。


枕元でひとしきり泣いてたら、
スタッフが来て、
「打ち合わせ通りで良いですか?」


と言っているのが聞こえて、私だけが、
「お願いします!」と言った。


仮通夜がある事を、初めて知って、通夜を伸ばした。
父が一番に言った。


弟一家が来るのを待つ。

朝になったので、横内先生にメールをいれる。

「貴方の頑張りは素晴らしかったです。どうか、自信を持ってこれからの人生歩んでください。」と返事が来たので、又泣いた。


「洗礼の儀式はどうされますか?」スタッフが聞きに来た。


私は、服と花と骨壷と棺桶を選んだから、後は父の好きにさせてやろうと思った。

父は「お願いします」と言い、
洗礼の儀式の間、ずっと泣いていた。

皆が揃ってから、スタッフが棺桶を抱えてきた。

布団に寝てるのと、棺桶に入れられるのとでは、全く違う。

私は「ママー!ごめんね!私が殺してごめんね!ママー!嫌ー!」

棺桶に入れるのを邪魔した。

叔母が、私をギューッと抱きしめてくれて、「自分を責めるのはもう辞めなさい。良く頑張ったね!」と
叔母の辛さを思うと、力が抜けた。

そして、母は棺桶に入れられた。

私は、母の携帯電話をそっと、母の耳元に置いた。

その日は、どうやって過ごしたか覚えてない。


夜中に何回も弟の子供がフスマごと、部屋の外に落ちるのを、弟は何事も無いように、
布団に子供を寝かせて、フスマを立てて、そして寝る。

祖母は、ただビックリしていた。




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