単位元に関する「複素効理論」の誤り
「本を出版することは、誤りを犯すことだ」
本に誤りはつきものです。誤字脱字はもとより、重要なコンセプト上の間違いをきっちり印刷物として残してしまうことも。
複素効理論
『僕は偽薬を売ることにした』では、「複素効理論」を提唱しています。
複素効理論は、以下の目的で提唱するものです。
- プラセボ効果を説明すること
- プラセボ効果を医療応用すること
こうした目的を達成するためには、説明についての一般的な理解が必要です。
因果律に基づく説明
人間が人間に説明してわかるために必要なルールがあります。それは、その説明が因果律に従うことです。
- 原因があり、結果がある
- 何らかの結果には、必ず特定の原因が伴う
こうした因果の法則に則った説明が「わかる」ためには重要な要件です。
では、プラセボ効果と因果律はどのような関係があるでしょうか。実は、プラセボ効果に関する原因と結果の議論は、少しややこしいものです。
プラセボ効果に関する原因と結果
「有効成分を含まない偽薬を服用すると、病気が治った」
このような<結果>を因果律に基づいて説明するためには、何らかの<原因>が必要です。しかし、科学はこの<原因>を明らかにできません。こうしたときに有効な方法は、<原因>を創造してしまうことです。
「有効成分を含まない偽薬を服用すると、プラセボ効果により、病気が治った」
こうした新たな<原因>を想定すれば、<結果>を合理的に説明できてしまいます。
しかし一見してわかるように、こうした説明手法にはあまり納得感がありません。それはこの説明が単に不思議な<結果>たる現象に新たな名前を与えて、因果のルールに合うよう形を整えたに過ぎないからです。
「プラセボ効果」は未だ<結果>側の属するもので、納得感のある説明への欲望は、さらに<原因>を求めます。
「プラセボ効果」という表現は、こうした<原因>と<結果>に関する曖昧さを含む言葉です。この曖昧さを回避するため、不思議な治癒現象の<原因>を「プラセボ要素」と呼ぶことを本書では提案しています。
プラセボ効果の原因
「複素効理論」は、<結果>たるプラセボ効果の<原因>として「プラセボ要素」という新たな虚構的な情報を想定する理論です。
「複素」は数学の複素数から採りました。複素数とは、実数と虚数を含む数の体系です。
科学的な探求の対象と科学的な操作、このそれぞれに科学的に測定不可能な虚数のような要素を認め、それらをプラセボ効果という現象を引き起こす<原因>と仮定します。
「プラセボ要素」と表現したような虚構的な<原因>を見出さなければならない理由は、科学が客観性を追求するため実数のみを重視する論理的に特別な所作を求めるからです。
乗法単位元に関する誤り
さてこの「複素効理論」ですが、『僕は偽薬を売ることにした』では偽薬の投与行為を例に挙げています。
偽薬をゼロと見做す
偽薬の科学的な効果はゼロだと見做される。しかし、偽薬の投与/服用行為自体はゼロではなく純虚数だ。そんな風に書きました。
ゼロであることの特別さは実数でも複素数でも変わりません。どのような数の体系でも、ゼロは特異な特徴を持つ特別な数です。
偽薬の投与/服用行為はゼロではないため、それを受けた人に変化を及ぼし得るのだ。そんな主張です。
操作行為を積とする場合
しかし「複素効理論」の数理的な表現を探る過程で、科学的な対象や操作行為を複素数と見做し、それらの積(掛け算)が結果として生じることと仮定しました。
これは困ったことです。
効果のない行為は、ゼロではなく1だからです。
操作行為が対象に変化を及ぼさない場合、結果が積となるなら、操作行為は1と見做されなければなりません。複素数の積に関して変化を生じない乗法単位元が1だからです。
偽薬の投与/服用行為をゼロあるいは純虚数と見做してしまうと、この状況をうまく説明することができません。
問題解決に向けて
この問題を解消するには、矛盾する仮定について再検討するしかありません。
「複素効理論」の目的(再)
ただ、「複素効理論」は真理を追究することを目的としていません。
- プラセボ効果を説明すること
- プラセボ効果を医療応用すること
上記のような目的を達成する上で単位元に関する問題がどれほど大きなものか判然としませんが、恐らくうまく問題を回避できるのではないかと思います。
そもそもが仮想的・虚構的な仮定に基づく理論なので、柔軟な対応が可能でしょう。
操作行為をより一般的な関数と仮定したり、操作行為の一部に単位元を含むことを仮定したり、あるいはそもそも対象や操作を有限次元の複素ベクトルと見做したり…。ここで詳細を検討することは控えますが、本文内にある矛盾含みの記載を解消する方法はあるだろうと考えています。
たとえ僕自身が理解できなくとも、それはあるだろうと思います。
棄却されても残る事柄
「複素効理論」は、まったくもって完成された理論ではありません。
今のところ確実だと見込むのは、科学が客観性を追求するためにあえて無視している事柄が存在しているという点です。ここから「複素効理論」とは異なる理論が生み出されるかもしれません。
いつでも、どこでも、だれにでも適用可能な科学的知識は、いま、ここに生じているわたしとあなたの関係性を適切にすくい取ることができません。
プラセボ効果は、そうした特別な状況や関係性を<原因>とする<結果>だ。この前提は、「複素効理論」が棄却されても残るものだと信じます。
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