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2005年12月13日の日記

回帰クラブとは、主に私の同期で結成された、ミステリー調査班です。

主要メンバーに加え、マーシー加入によって実現したのが心霊スポット巡りです。(車持ってはったからね)
初めて訪れたのは5月、深草の大岩山、宇治の醍醐幼稚園跡です。持って行ったものはポラロイドカメラ・懐中電灯・ビデオ・手袋・花火・テレコなどなど。ム○イで買い物したなぁ。確か・・・

醍醐幼稚園は当時最もヒップなスポットで、呪われたピアノが有名でしたが、結局場所が見つからず、そこらへんの公園で真夜中の花火大会と相成りました。

大岩山は人形がやたら並んでるとこがあるとか聞いて行ったんですが、神社しか見つからず。でも雰囲気はありました。
しかも人形を探しているうちに行ってはいけないところに入ったらしく、エマージェンシーが発令されてサイレンが鳴り出し、大急ぎで逃げました。みんな走るの速かったです。私も速かったです。車にたどり着くとマーシーさま、車の鍵ないとか言い出して、まさにホラー映画さながら(むしろメタルギア?)のピンチでした。無事脱出したけどね。

そのあとは夜が明けてNさん家に行ったかな。そこでマー氏録音の実況テープを皆で聴いたような。あのテープまだあるんかなー・・・今度聞いてみよう。それからN家に集まってたメンバーに撮った写真とか見せて帰りました。

こうして書くと第1回は結局目的達成しとりませんね。

その話はさておき今回は第2回の時のお話を。
第2回は8月31日というまさに夏の終わりに開催されました。今回の調査対象は大岩山(再調査)・八幡野戦病院(もしかして清滝も行ったかも)です。

大岩山はその1を参照してくださいよ。前回みつからなかった首なし人形は今回も見つかりませんでした。ちなみにその1に書いたエマージェンシー騒ぎはこの時でした。1回目に行った時は何も起こりませんでした。

そして八幡です。こわかったです。まじでびびりました。

まだ終電も終わらぬ八幡駅に到着した我々は、まずその入口(病院へ続く階段)を探す事からはじめました。事前の情報収集が効を奏し、階段はすぐに見つかりました。

私たちは一段、また一段と暗闇の中、目的地に歩みを進めました。ここは近くに駅があるとはいえ、山なのでとにかく暗かったです。暗すぎて別の意味でも危険でした。懐中電灯の灯りだけが頼りです。
そんな中どこからともなく聞こえてくる犬の遠吠え・・・ここに来た事を少し後悔し始めていました。
その時です!メンバーの一人(霊感あり)が

「わーーーーーーーーーーー!!!」

と叫ぶではありませんか!!まずその声にびっくりしました。
そして、次の一言にその場にいた全員が凍りつきました。


「あ そ こ か ら 誰 か が み て る 」


           
・・・いま何て?


彼の指差す方向を見上げると・・・
確かにいるんです。ナニか。微動だにせず、こちらをじっと見下ろしているんです。本気で血の気が引きました。
見てはいけないものを見てしまった・・・!!!

「あれ確かに人やな?木の陰とかではないわな」

「こんなトコに普通人おらんで・・・しかも一人で・・・」

半ばパニック状態に陥った私たちは、何とか恐怖をかき消そうとそれぞれ思い思いに喋り出しました。
その時、私は重要なことを思い出したのです。

「あれ銅像か何かやわ、そういや途中にマリア像だかがあるって・・・」

ああ、よかった。まじで。ほっと胸をなでおろしました。(多分全員が)

こんなことが起こってしまったので、もう私としては帰りたい気分でいっぱいでした。生きて帰れるか不安でした。
しかし、ここまで来たからには引き返すわけにはいきません。そう、目的地はすぐそこなのです!!

そしてそれはついに姿をあらわしました。

「無理。」

これが感想です。懐中電灯に照らされた建物は、とにかく恐ろしかったです。中に入るなんて、とんでもないです。
マーシーはおもむろに塩を袋から取り出し、撒きだしました。
そして一言。

「とりあえず手あわせとこうか。」

逃げるようにその場を立ち去った私達、駅に降りてきた時の民家の明かりの神々しさといったら・・・!忘れられません。
当分忘れられない怖さでした。おしまい。

そう、実はビデオカメラで一部始終撮影していたのです。まー着いて塩撒きあたりからはおもしろいけど。本当に人生で一番の恐怖体験でしたよ。そりゃみんなのびびりようったらなかったね。

でもびびりながらも写真とビデオはしっかり撮ってるから驚きです。あんだけパニクっておきながら、謎の人影もなぜかバッチリです。
まぁついこないだまで封印されてたけどね。怖くて。

この時はもう二度と行かないと心に誓いましたが、結局一年後に大人数で訪れることに・・・。そのときの話は完結編で。


・・・にしても無事生還した時の私の一言は悔やまれます。

「ブレアウィッチ撮れたわ」

・・・馬鹿っっ!!!
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2020年の感想と注釈:

この日記が書かれた当時、この8月31日の探索からは既に数年が経過していた。

このころ私(二十歳前後)は、異常な好奇心の高さから、高校生の頃からとにかく心霊スポット探索に超絶憧れていて、(テレビで心霊関係の番組も沢山やっていたが、特にトワイライトシンドロームというPSのゲームの影響が激高い)それを数年かけて実行に移すことができてめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。確かタッキーが主演のドラマで怪奇クラブというのが何年か前にやっていて、それをもじって回帰クラブというどうでもいい名前を付けて「活動」していた。

情報は主にネットの心霊スポット探索サイトから得ていた。夏場は心霊スポット案内みたいな本がコンビニで買えて、それを持って行って、探索前のファミレスで回し読みしていたようにも思う。意気揚々とポラロイドカメラを買った。

第一回の活動は確か初夏で、探索後に始発電車で帰宅した時に、朝のワイドショーで池田小学校乱入殺傷事件のニュースを知ったように記憶している。

第二回の野戦病院後(という名前で当時呼ばれていた場所)は日記の通りめちゃくちゃ怖くて、行って後悔した。ちなみにこの時のビデオはちゃんとビデオテープにダビングしたと思うが、手元には残っていない。ダビングした時に「ブレアウィッチ撮れたわ」のイタイ一言を消したいと何度も思ったけど、恥を覚悟で残したのだけは覚えている。

ブレアウィッチは今だに一度も観たことがない。

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