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20221010 感性の話

友達とバイクで旅行に行ってきた〜場所は前から行ってみたかった四国カルスト!いろんな人のレビューをみたり、ネットで調べてランキング確認してみたりして辿り着いた所。なおかつ距離的に近いというのも大きな理由。

これまでその友達とはそれこそ四国に行ったり、島に行ったり遠出して熊本に行ったり、何度かツーリングしているのだけれども、その中でも上位のツーリングスポットと言えるはず。
コンテンツの強さで言えば強めだというのが他の人の多くのレビュー記事から分かる。

実際に行ってみてどうだったかというと、友達と共通していたのは、「なんか感動が薄かったよね」
なんなら初めて行った四国の別のツーリングスポットの方が感動した気がするという感じだった。

絶対的に考えると今回の場所の方が良さそうに思うけれども、相対的に考えるとこの感想は適切なんだろうなと思う。

はじめてバイクに跨って遠出をして、初めての場所を訪れて、それなりにいい景色だった思い出。初めてということは、ほかに比較対象がなくすなわち絶対評価しか出来ない。
次第にたくさん経験を積んで、色んなところに行くにつれて比較相対評価出来る様になった。

少し脱線してしまうけれど、「比較」する時にはポジティブな結果とネガティブな結果が得られるケースがあるように思う。本来なら日本国内でも素敵なツーリングスポットなのだが、今回のケースに関してはネガティブな結果になったということかもしれない。

比較すること自体は悪いことではない。その結果を自分でどう受け止めるかが重要だと思う。

例えば、
他の子と比べて体が小さいからもっと筋トレして体を大きくしよう。
他の子と比べて自分は体が小さいから格好悪い。

どちらも他者と自分を比較しているが、前者はポジティブな次の行動へと繋がる・前に進めるような考え方で、後者はその場に立ち止まるというか自ら後ろに下がるような思考。

一方でそもそも比較しないという考え方もあるように思う。常に絶対評価。何かと比べて「いいじゃん」ではなく、それそのものが良いと思ったなら無条件に「いいじゃん」と思えるような思考。

色んな考え方や物事の捉え方があるので、状況に応じてどれを選択するのか。無意識にネガティブな結果になってしまうような選択をしてしまっていることに気づくことが出来れば、自分の意識を上手くコントロールできるかもしれない。

何かと比較することを無意識に出来るようになっている気がする。比較出来るものが多くあるのは物質的にも空間的にも豊かであることは間違いないが、それに比例して感性や心の豊かさみたいなものがなくなってしまわないようにしたい。

"日本に比べるとぱっと見色んなものが十分にそろっているようには見えないけれど、そこに暮らす人たちはたくさん笑っていて笑顔が絶えないんですよね。それを見ると果たして何が「豊か」なのかなって思いますよね"
                by 西野亮廣のアナザースカイ in ラオス

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