私の話

初めて、私の言葉として、抽象的じゃなく具体的に、自分の中に燻って、いつか闇に引きずり込んでしまいそうな気持ちを書き残しておきたいと思います。

家族と一緒にいるのが辛いです。

でも誰かが悪い訳ではありません。何か家庭として問題があるわけでもありません。

ただ、母親のため息が胸に刺さって

反抗期の妹の軽い暴言が胸に刺さって

父親の何も言わない目が胸に刺さって

家族が何なのか、分からなくなってしまうんです。でもこれは今に始まったことじゃありません。多分何も変わっていないんです。
ただ、私の感じ方がおかしいだけなのです。
そうだと思いたいんです。

自分はあまりに天邪鬼で、やることもやらずにやりたいことにだけ突っ走ってて、ダメな娘かもしれません。

だけど、こう見えてももがいてるんです。
ずっと、生きていていいって確信は持てなかったし、ダンサーの両親の元に生まれた代償、とでも言うべきか、上手く踊れない自分には価値が感じられなくて、全て上手くできて初めて存在していていいような気がしていて、だけどそんなに上手くいかなくて、ずっと。

悲劇のヒロインを気取っているんだと思ってた時もありました。そうやってヒロインぶって、辛そうな顔をして、逃げているだけで、本当は全部自分が悪くて、家族にはなんの問題もなくて、ただ私がおかしいと思った時もありました。

どんなにそうやって自分を責めても、そばに誰かが居ても、恵まれている、愛されていると言い聞かせても、寂しさは拭えないんです。

寂しくても、生きていくしかなくて、生きていいよと言って貰えるには、必死に生きるしかなくて。ニコニコして、優しい人間になりすまして、懐の深いような人間の顔をして、何も気にしないような顔をして、見て見ぬふりをして。

だけど、そんな自分に疲れたりもして。
疲れた自分が家族の前で顔を出すと、些細なことで傷ついて。

もう、疲れました。どこに行っても、私は私で居られないような気がして、取り繕わなきゃ人と付き合えなくて、寂しいなんて、漏らせる場所もなくて。

助けてよって何度も伝える先を探しました。
時には家族に伝えもしました。
でも、家族には伝わらなくて、ただ、受け入れて欲しかっただけなのに、上手く伝えられなくて。
家族に伝えることを諦めて見渡しても、ただ伝える先がないことに絶望するだけで。

泣いても泣いても、また日が経てばその不安は顔を出してくるんです。

「おまえは、愛されているのか?」

ダンスが好きなのも事実です。
でも、「ダンスが好き」だけでダンスを続けられる人を見ると、なんでか負けたような気がしてしまうんです。
それは多分、「ダンスが好き」という単純な気持ちだけではなくて、「ダンスができる自分」なら愛されるかもしれない、という淡い期待の元に踊っているから。
ダンスをしていれば、見て貰えるかもしれない、と思っているから。

産んでくれてありがとう、とか、母の日に感謝を、とか、それなりに、それなりに思ってはいます。
だけど、もしも、この家に産まれてなかったら、大好きなものに出会えなかった代わりに、もっと幸せだったかもしれない、幸せになることが出来たのかもしれない、と思うこともあって。

そんなことを考えてしまう自分も嫌で、両親に心から感謝できない自分も嫌で、家族に当たってしまう自分も嫌で、向き合いたくなくて。

ただ逃げたいだけなんです。

弱い自分です。なんともみっともなくて、弱っちくて、そばに居るものも信じられないような人間なんです。

そんな私だけど、でもやっぱり寂しさは大人になっても拭えるものじゃない気がして、愛されたいという欲求は埋まることがなくて。

どこかぽっかりと空いた穴を大事に抱えることが、今の自分に出来る正解だと思ってる一方で、その穴を埋めたいというのも本当で。

そんな私なんです。

今は、なるべく家にいないように、家にいたとしても、家族と顔を合わせないように、話さなくていいように、そう考えています。

どうか、どうか、これ以上、傷つけないために、両親には伝わりませんように。親不孝な娘でごめんね。

いつか、誰か、私を助けてください。
生きていいかはわからないけど、きっと生きていないと、生きていていいとは思えないだろうから、死なないでいるから。

だからどうか、私を助けてください。

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