見出し画像

「甘え」あっての自立

「甘えの構造」(土居健郎著)は、1971年に出版された日本人論の名著の一つです。私もだいぶ前に読みました。日本人の依存心の高さや閉鎖性、幼児性を炙り出したもので、欧米の独立した個人に対して、なんて日本人はじめじみして情けないのかと嘆いたことを覚えています。

そのこと自体は、今も変わらないと思いますが、甘えは必ずしも否定的側面だけなく、肯定的な面もあるのではと近頃思うようになりました。

ケアの概念から「甘え」を捉えてみると、違った側面が見えます。そして、それは人々が分断され孤立する傾向にある現在、日本のみならず世界中で求められてきているように思うのです。

土居氏によると、親子や夫婦、友人など特別な二者関係での甘えは必要なものだそうです。人は本来の意味で甘える相手が必要だとも。こうした、甘えることができる特別な二者関係があればこそ、その外に向かって自立することができる。

しかし、現代はなかなかそうした特別な二者関係を築くことは難しいのかもしれません。だから、社会において自立が困難になる。狭義のケアとは、あえて人工的に特別な二者関係を築き、甘える余地をつくることなのかもしれません。そこで徐々に自分自身を取り戻して、社会でやっていけるようにするための場、安全地帯。

都内の保育園長の米澤祥子さんは、最近の子供達に甘えを抑制しがちな傾向を感じるそうです。そしてこう言います。
「甘えは心を開くこと。それには気持ちを受け止める大人が必要で、そうした信頼関係の土台の上に自立した人間が育っていくのです」(朝日新聞夕刊2020/7/29)

子供だけでなく、大人もそうだと思います。自分の本音の心を目の前の「容れ物」に素直に入れて、それを見た他者もその「容れ物」に自分の心を入れる。それが共感です。そうすることで、双方が癒され信頼しあうことができ、強く生きられる。人生の豊さもそこにありそうです。

共感する側からみて、最近empathyの重要性も盛んに説かれています。エンパシーは日本語では共感と訳されますが、能動的なスキルです。「容れ物」に(後から)心を入れるスキルという言い方もできるかもしれません。樋口氏のいう「関心に関心を寄せる」こととも同じだと思います。(先に「容れ物」に心を入れるスキルが「甘え」でしょうか)

リモートワークの巧拙も、関係する人々の間にそうした関係性が持てているかによるのだと思います。リアルな場でそうした関係性がなければ、リモートワークで深いコミュニケーションはなかなかできない。

甘える側に戻りますが、私の経験からも、(特別な二者関係でなくても)上手に甘えられる人は、周囲から心を呼び込んでサポートをたくさん得て、いい仕事を成し遂げるようにも思えます。「真のリーダーとは、人々を助ける人ではなく人々に助けられる人」と聞いたこともあります。

自立と甘えは対立するものではなく、どちらも大切であることを自覚することが必要でしょう。

近年、人文科学系から自然科学系まで、人間の協調行動、利他性、関係性といった点に注目するような研究が盛り上がっています。(前回書きましたが)成長から成熟へと時代が変化を遂げつつある現在、新しい成熟の時代に適応するための手段として、こうした考え方(ケアもその一つ)が生まれ注目されてきているように思えてなりません。

注:タイトル写真は、我が家の飼い猫「るう」。猫ほど甘えと自立が共存している生き物はないかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?