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欲求7段階説(藻谷説)に思う

人は何らかの欲求に従うことでしか、生きることはできません。では、欲求とは何でしょうか?

マズローの欲求5段階説は有名です。
生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の順に、人は求めるというものです。定番中の定番ですのでいいんですが、なかなか腹に落ちるとまでは(少なくとも私は)いきません。人間はもっと複雑だと思うからでしょうか。例えば、自分の安全を危険にさらしても、しなければならないと確信することもあります。

先日、里山資本主義を提唱する藻谷浩介氏の講演をオンラインで受講しました。藻谷さんが講演の最後で発表したのが、欲求7段階説です。なるほどと思ったので、ここに記録しておきます。

まず、面白いのは欲求を、「個体として」と「人間関係の中で」の二つに分けたこと。マズローは、個体2欲求の上に社会的な2欲求を置きましたが、そうした上下関係にはないとしたことです。

藻谷浩介氏作

個体としての欲求

「生存欲求」はわかりやすいですね。次の「お守り欲求」か興味深いです。縄文人も現代に生きる未開の人々も、入れ墨や装飾品を身に纏います。これは人類の本質的な欲求だと考えられます。藻谷さんはそれを、「お守り」と解釈します。お守りとは、自らの力を補強するものです。私は、スマホを熱心にいじっている人を見ると、お守りを握りしめている姿をなぜかイメージしてしまいます。自分ではない「何か」とつながることで、自らの力を補強するお守りに見えてしまうのです。それは、人類の本能に根差した欲求としか言いようがありません。

次に「理由付け欲求」。これも面白い。人は外部から情報を受容すると、脳が勝手に作動して、その情報について解釈しようとしてしまいます。きっと防衛本能なのでしょう。解釈とは、まず事象を確認し、それが起きた理由を推測し、さらに価値判断を下すことです。その上で対応を考える。これを止めることはできません。例えば、前方からカラスがこちらに向かってきます。先日ゴミ置き場をあさるカラスを追い払ったことを覚えていて、復讐にしに向かってきているかもと推測。これはまずい、カラスは自分に悪意を持って攻撃するだろうと判断し、さっと身をかわす。こうした認知プロセスには、えてしてバイアスがかかってしまいます。特に人間に対しては。

人間関係の中での欲求

「帰属欲求」は、ヒトは一人では生きられないため、本能として持っているはずです。「自分は一人で生きていきたい」と粋がる人もいるかもしれませんが、それは単に一人では生きられないことを認識できていないからでしょう。単なる勘違いです。何らかの集団に属して物理的・精神的なつながりを持ち、自分を超える存在の一部となりたいと欲求するはずです。よくある過度なつながりへの抵抗と帰属欲求とは無関係です。

「共感欲求」はその延長線上にあります。帰属する集団の中で、自分の存在を確認し、他者や集団と一体化したいと望みます。今朝、サッカーワールドカップで日本はスペインを破りました。早朝にも関わらず、日本中が歓喜に包まれたのは、単に日本が勝ったからだけでなく、たとえTVを通じてであったとしても、多くの日本チームサポーターと同じ時間に勝利の感動を共感できたからだと思います。ライブの魅力は、時間と場を共有し共感できるところにあります(映画館もそのための装置だと思うのですが・・・)。

「(優劣の差がつく指標での)優越欲求」は、まさに「勝つ」ことに対する欲求。人類が生き残るためには、属する集団が敵に勝つ必要がありました。だから、優越欲求は持たざるを得ない。部族間の争いなら、勝敗は明確だったでしょうが、現代ではそうした明確な勝敗がつくような争いはあまりない。そこで優越欲求を満たすには、優劣の差がつく指標が必要になりました。主観的な勝利ではなく、客観的な勝利を示す指標。つまり数字です。どんなに試合運びで負けていたとしても、2-1で日本は勝負に勝ったのです。もう一つわかりやすい指標が、おカネ。

ヒトはどうしよもなく、「比較」してしまう生きものです。他者・他社・他国との比較、そして過去との比較。すべて相対評価によります。

かけがえのない人生への欲求

こうした個体及び人間関係の中での欲求を超える究極の欲求として、「かけがえのない人生への欲求」があるといいます。マズローの自己実現欲求に近いかもしれません。

藻谷さんは、それを「自他の比較にこだわらず、自分に自然体で満ち足り、その上で他者と自然体で認め合いたいとの欲求」と説明しています。ナンバーワンではなく、オンリーワンになりたいという欲求。ただ、それは単なる独りよがりではなく、他者との交わり、他者からの絶対評価なしには実現できないものです。

オンリーワンを目指す人は、他者のオンリーワンも認めることができるはずです。相対評価ではなく絶対評価の世界。「かけがえのない」人々で構成される集団が、最後まで生き残るのは明白でしょう。長期的には、多様性こそが集団の生存を可能にするのですから。

どうすれば、そんな境地に達することができるのでしょうか。藻谷さんはこう言いました。
「人とユルくつながり、感謝されて楽しかった経験を、重ねることで上に行ける」
言い換えるならば、「人生を楽しむ」ということではないでしょうか。なんだか当たり前のようですが。

吉田兼好は「徒然草」にこういう言葉を残しています。
「人みな生を楽しまざるは、死を恐れざるゆえなり」

心がねじれると"裏欲求"が出る

人生を楽しめないのは、「裏欲求」に囚われているからかもしれません。
藻谷さんは、先の欲求には全て欲望が反転する「裏欲求」があるとしました。

藻谷浩介氏作

生存→殺害/自殺
お守り→収集
理由付け→妄信
帰属→いじめ
共感→非共感者攻撃
優越→ハラスメント
かけがえのない人生→ねたみ/嫉妬心発散

人生を楽しもうと思えば、こうした裏欲求にかまけている時間はないでしょう。人はみな、必ず死ぬのですから。今・ここで・自分が楽しいと思うことに全精力を傾けることで、究極の欲求を満たすことができるのだと思います。


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