見出し画像

映画「ふんどし医者」を観て:映画の普遍性

現在、神保町シアターで開催中の「映画女優・原節子」シリーズで、「ふんどし医者」(監督:稲垣浩)を初めて観ました。原主演の映画は、ほとんど観ていましたが、この作品は初めて。しかも主演はあの名優・森繁久彌。それ程期待せずに観たのですが、傑作でした。上振れの期待外れほど、嬉しいものはありません。

ときは幕末、大井川の宿場町島田宿。赤ひげのような人情味あふれる医者を森繁が演じ、その女房が原です。原は上品でありながら博打好きという

画像1

女房を、品格高く演じます。そのしぐさや振る舞いは、美しい伝統的日本女性のもので、私には吉田蓑助が遣う文楽人形に見えました。特に、賭場から褌姿の森繁(原の負けの代償で、森繁は着物をかたに取られた)と帰途につく黒頭巾姿の原は、文楽人形そのものです。

さて、この映画には普遍的なテーマがいくつも散りばめられています。

・出世をとるか、職業の本質価値(目前の困っている人々を救う)をとるか?
・女性として、上記のどちらと添え遂げることを選ぶか?
・目指すべき一生の仕事を見つけたとき、すべてを捨ててそれを追求すべきか?
・時代の変わり目において、それに乗るか、それとも抵抗するか?
・時代に遅れてしまった自分を素直に認められるか?
・そして、時代に追いつくべく再挑戦をすることができるか?
・弟子が自分を超えたと思えた時に、どう接することができるか?
・(弟子として)恩返しをとるか、自分の成長機会の獲得をとるか?
・夫の危機に、女房はどのように接すべきか?

明治に入り、時代に取り残されつつある森繁は、留学帰りの弟子(夏木陽介)に複雑な感情を抱きつつ、彼が紹介した外国製の最新顕微鏡を何とかして買いたいと望みます。しかし、300両と高価でそんなお金はありません。森繁は原にへそくりはいくらあかるとダメ元で尋ねると、原は「15両くらい」と答えます。森繁は「バカ、こんな時のためにもっと貯めておけ」と理不尽な叱責(なんとも言えず味わい深い二人の演技)。

夫の、いわばアイデンティティ危機に、原の取った行動は私にも想像できないものでした。なんと地元の親分へ、博打でさしの勝負をしかけたのです。親分はこれまた名優・志村喬。命を懸けた最後の勝負(鬼気迫る原の迫真の演技!)。親分は(多分)わざと負けます(さすが!)。300両を握りしめ朝帰りの原。待っていた森繁は、素直に頭を下げる。

顕微鏡を使って伝染病(腸チフス)感染と結論づけた子供たちを、森繁は自分の屋敷に隔離し親も面会謝絶にします。伝染病の知識のない親たちは、不安と怒りで屋敷を打ち壊し、子供たちを連れ戻す。それまで、さんざん村人に尽くしてきた森繁は、彼らの手のひらを返したような仕打ちに心底落胆。こうした無知の恐ろしさは、現在のコロナ禍とも通じます。

1960年製作の映画ですが、ちっとも古びていません。今に通じる重要なテーマがたくさん語られ、今の状況と照らし合わせながら観入っていました。

それにしても、貞淑な女房と博打好きを同時に演ずる原節子は、小津映画では絶対観ることはできないでしょう。当時の日本映画界のエネルギーを感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?