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「ブルシット・ジョブ」を読んで:被雇用者が幸福になれない本当の理由

本書は、仕事や経済に対してこれまで何となく抱いていた違和感を、明確に言語化した画期的な本だと思います。

私は新卒で某都市銀行に入行しましたが、当時銀行員は高い給料が保証されている、人気のある仕事でした。中に入ってみると、実際ある程度の年次になれば、他の業種よりも給与が高いということはわかりました。

一方で、その理由はさっぱりわかりませんでした。はっきり言って、世の中にすごく価値を提供しているという実感もありませんでした。それどころか、あまり意味があるとは思えない業務を、皆が目の色を変えて必死で取り組んでいたりします。(ドラマ「半沢直樹」は、その本質を描いています)銀行員に染まっていない私は、疑問だらけです。なぜ、そんな仕事で高い給与がもらえるのか?

寮の先輩に率直に疑問をぶつけてみました。先輩はこう言いました。
「お前の言うことはよくわかる。基本的に優秀な人間が、これだけ愚かな仕事をしているんだ。給料くらい高くないと、やってられないだろう!」

それを聞いた私はますます混乱しましたが、先輩に反論はできませんでした。それが世の中なんだろうか、と思うしかなく。そして、私は銀行を2年で辞めました。

それから数十年、本書を読んで腑に落ちました。無意味な仕事にも関わらず給与が高いのではなく、無意味な仕事だから給与高いのだということを。これがブルシット・ジョブです。これは私たちが当たり前のように考えている資本主義とは異なるように思えます。

コロナ禍において、エッセンシャル・ワーカーに注目が当たりました。経済が止まっても、人間の生活に不可欠なとても重要な仕事です。看護師、保母、介護士、清掃作業員、運送・配達員、小売店員など。彼ら彼女らに、感謝を示す活動はブームのように広がりました。しかし、それらはほとんど低賃金の仕事です。感謝はしますが、彼らの給与をもっと上げるべきだとの論調はあまり聞かれません。唯一、ある病院でボーナスなしの通告を受けた看護師が集団退職を示し抵抗した例は、マスコミで取り上げれましたが。政府も、そうしたエッセンシャル・ワーカーに、重点的に現金配布するというような案も出ていません。

著者のグレーバーによると、「その仕事はおそらく世の中の役に立っており感謝されている。それに加えて高い報酬まで要求するなんてとんでもない。私を見てみろ。こんなくだらない仕事を毎日続け、何の役にもたたず、誰からも感謝されないんだぞ。」、ブルシットジョブをする多くの人々はそう思っているのだと。

ひどい労働環境で低賃金のシット・ジョブと、その正反対のブルシット・ジョブ。前者は生活は苦しいかもしれませんが、自尊心を持てます。後者は、生活のゆとりはあるかもしれませんが、人格を破壊します。メンタルの病が世界中で増えているのは、ブルシット・ジョブの増加に伴うものかもしれません。英国での調査によると、フルタイムで働く人の37%は「自分の仕事は世の中に意味のある貢献はしていない」と感じているそうです。

では、なぜそんなブルシット・ジョブが資本主義経済のもとで存在、それどころか増殖しているのか?

経営者は効率化のため、徹底的に生産現場の無駄を省きますが、一方でマネジメントとそれに付随する業務はどんどん増えています。そこにグレーバーは、中世の封建制と同じ構造が現代の資本主義にあるとみているのです。

金融化された資本主義のもとで、(中略)「効率性」はますます経営管理者や監督官、あるいはそれ以外のいわば「効率性向上の専門家」に権力を授け、そのために実際に生産に従事している人々の自律性は、ほぼ消滅した。それと同時に、経営管理者たちからなるヒエラルキー的階層は際限なく再生産されているのである。
企業世界内部では広範にわたる帝国形成の過程が存在して、経営者たちは主に自分たちのもとでどれだけ多くの人々が働いているのかということをめぐって互いに争っています。

なぜ経営者の報酬はうなぎのぼりなのか?、なぜこれだけネット活用で効率化されてきているのに労働時間は減らないのか?、なぜどの職場でも管理や報告業務が増えコア業務に時間を使えないのか?

こうした素朴な疑問に対する、ひとつの回答が示されています。グレーバーの指摘のすべてに同意できるわけではありませんが、これまでと全く異なる視点を提供していることは事実です。

最後に彼は、ブルシット・ジョブのない経済をどのように思い描いているのか?本書執筆後の「リベラシオン」誌にこう寄せています。

もしも、「経済」なるものに何か実質的な意味があるのだとしたら、それは当然、人間が ー命を守るためにも、活気のある生活のためにもー 互いをケアする手段を指し示すものであるはずだ。(中略)たぶん経済とは、もはやその役割を終えたアイデアなのだ。

彼は、現在の経済学が寄って立つ原理(成長、余剰の獲得など)はもう役割を終え、ケアの原理に基づく新しい経済学を構想しようとしているように思われます。コロナ禍を経て、これからこの論がどのように展開していくのか楽しみだったのですが、もうそれは不可能になりました。彼は今月2日に亡くなってしまった。まだ59歳。世の中に大きな貢献をする人は、その分生命が短くなってしまうのでしょうか。本当に残念です。

参考:以下の動画は、彼の主張がコンパクトにまとめられています。




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