見出し画像

ゆきんこ日記 2

ゆきんこ日記、第二弾です。前回は思いっきり自分についての話でしたが、今回は趣向を変えて、想像上の人物の日記を書いてみました。
それではレッツゴー



四十年前に、当時の恋人が死んだ。
同い年で、四年付き合った。小さな口を横に大きくにっと開いて笑う女性だった。
出会った時からほっそりした人だったが、病気になってからはみるみるうちに頬がこけ、アバラが浮き、そしてなにより、笑い方が変わった。声をたてて、大袈裟に笑うようになった。
私は知っていた。
それが心からの笑顔でないことを知っていた。
でもその頃銀行の下っ端社員だった私は、毎日忙しなく働き、それでも金は無く、見舞いの花さえ買わなかった。

あれから世の中は変わった。あのころの、暑苦しくて、人が人に干渉する時代は終わり、目まぐるしいほどの変化と情報の波が起こっている。
私は仕事を退職し、増えた時間を趣味の車と友人との時間に使うようになった。


私とあなたは、どれだけ一緒に過ごしただろうか。覚えているだろうか。夏の終わりに長野へ旅行に行った。まだ暑さの残る時期に、狭苦しい軽で、しかも無計画だったせいで、途中でガソリン切れになってしまった。
私はグダグダな旅に疲れ、また、心底自分にうんざりしていた。そんな時でもあなたは
「私はあなたと旅行できて、充分楽しいから。」と、苦笑いしながら言ってくれた。
優しくて、強い人だった。




今日は九月とは思えないほど暑かったが、来週ごろには一気に気温が下がるらしいので、体調には気をつけねばいけない。
私ももう六十一だ。無理をできる年ではない。

自分の人生の終わりを意識しだしてから、昔のことをよく思い出す。そこにはあなたがいる。
あなたにまだ恋をしているわけではない。そんな簡単な感情ではない。後悔を、ずっと背負って生きてきた。

最後に、冷え切ってしまった体を前にして、私はようやく知った。医者が教えてくれた。あなたが朦朧としながら呟いたという言葉を、私は忘れられない。
直接聞いていなくても、ツクツクホウシの鳴き声がする白い病室で、少し低い、あなたの声が再生される。
「行かないで。」とあなたは言った。

強い人だからと、なかなか側にいられない自分を肯定していた。
笑ってくれるあなたに、すがって、頼って、見ないふりをしていた。
あなたは笑いながら何を考えていた。
何を思いながら私の背を見送っていた。

有り余る程の時間のせいか、ずっと、考えてしまう。

気温はまだまだ高いが、空には秋らしい、いわし雲が浮かんでいる。一つ、季節が終わる。
いわし雲が、あなたのいた夏を乗せて静かに流れてゆく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?