「丁寧にする」と、意図する
どうしても好きになれないことに対しても
「丁寧に向き合う」と決めて、行うようにしてから3週間ほど経った。
改めて思ったのは、私は全然丁寧ではなかったし、愛情を出し惜しみしていたな、ということ。
それまでは、比較的丁寧にすること、たいせつにすることを心掛けてはいたけれど
それはあくまで、「自分が好ましく思うもの」や「比較的苦なくできること」に対してだけだった。
自分が好ましく思えないものや、自分に対して嫌なことをしてくる人に対しては
ほんとうの意味で、やさしくはできなかったし、結構腹黒な感情も抱いていたりした。
一旦、自分のなかにある好き嫌いは、脇において、「丁寧にする」ことを意図して、向き合うようにしてから、苦手としていることが格段に減った。
いや、正しくは、苦手としていることや、嫌な感情をぶつけてくる人はあるけれど
驚くほど静かな、やさしい心で向き合うことができるようになった。
それは、私にとって、とてもとても大きな収穫だった。
ただ、今までまったくやってこなかったことをはじめたせいか
はじめて数日は終わった後、尋常じゃないレベルで疲れてしまって、倒れるように眠ってしまったし、こんなこと続けられないかも、とも思った。
そりゃそうだよね、毎回セッションやるくらいの丁寧さを、好きではない他のことにも注ぐようにしたわけだから。
でも、「今までやってこなかったこと」をやるのって、効果が目に見えてわかるから面白い。
ダスカロスの「クジラと泳ぐ」という本のなかで
キリストの『求めよ、さらば与えられん』という言葉について触れているんだけど
それは、こういうことだったのかもしれない。
もし、好きになれないけれど
金銭的にとか、色々な理由でやらざるを得ないことがあるのであれば
丁寧にすることを意図して行うと、見えてなかったものに気づけるかもしれないですね。
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