長閑浜のデネボラ 1の5 山城タクシー支社

日報に名前や車番号などを書いていると、湯気の出る寿司屋の湯呑みが置かれた。
「ありがとうございます」
と、置かれた方を見て言うと
「どういたしまして」
いつものようにお盆を持った石田さんが立っており、書く手を止めて朝の挨拶をした。

石田さんは目尻のシワに慈しみを感じる、母親のような存在だった。
タメ口で社長と雑談している所も見たこともあるので、もしかしたら結構な年齢なのかもしれない。
昔は運転業務もやっていたらしいが、近年では裏方に徹している。電話番だけでなく、会計事務所とのやり取りの延長で総務経理みたいな事も手伝っている。

朝だけでなく、帰社した時や休憩時間でもお茶を入れてくれた。
長年の習慣だから気にしないで、と言われたことがある。
季節や相手によって温度や濃さを加減しているらしく三成の子孫だと、おれは勝手に思っている。

「今日は街の方へ行って。クラゲさんから10時予約の電話あったから。」
社長が、事務所に入ってきて掃除道具を片付けながらおれの方に言った。
特に不満があるわけではないが、おれは返事が遅れてしまった。
「何か差し支えある?別用とか。」
と確認された。

「カモメさんに会いたいんでしょう。」
目元がニヤけた石田さんに言われたので、おれは慌てて社長に了解する。
「全然、別件なんて入ってないので。了解しました。明日も向こう出勤でいいですか?」
「いいよ。だけど酒気帯び運転とかは絶対しないでね。」
了解ですと、改めて返事をして日報の修正を始めた。

山城タクシーは浜川市山城区が本社だが、中央区の浜川駅近くにも支社もある。支社と言っても、待機場と言う方が適切かもしれない。
辛うじて歓楽街が現存し賑わう浜川駅周辺を市内の人は“街”と呼び、山城タクシーでは街の近くにある支社を「街の方」と呼んでいた。

支社の隣には5階建てのビルが建ち、7年前くらいから“くらげホステル”が入っている。日本一周バックパッカーだけでなく外国人観光客も訪れる為、ニーズが合えば山城タクシーを紹介してくれている。
また、中央区で業務を終えた場合に山城区まで戻るのは面倒だろうと、空きがあれば社割価格で利用させて貰っていた。

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