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あなたのまばたき、いいですか?

一瞬いいですか?
という言葉は、意味はわかるが矛盾している。

一瞬。

一度またたきをするほどの、きわめてわずかな時間。

デジタル大辞泉(小学館)より

つまり、そう言った時点で、一瞬は終わる。

けれどその一瞬いいですか?が、ちょっといいですか?と同義なことくらい、わたしも分かっている。

一瞬。
なんと刹那な言葉だろう。

一回またたき(まばたき)する間。
それを何回重ねて、わたしたちは生きているのか。

職場では、まばたきを何度も借り合う。

今一瞬、大丈夫ですか?
ちょっと今、いいですか?

ぱち、ぱちぱちぱち。
カタカタカタ、カタ。
何度まばたきを重ねたかわからない。
そして最近は、一瞬のように仕事が終わる。

自然は容赦ないが、危機や災害を引き起こすのは人類だったりする。
気候変動の影響で自然災害も多くなり、漠然としたようで確かな危機が迫っている感じがする。
原発やテロの脅威などの特殊災害もあるし、なんと言っても、今だに戦争や、侵略や、弾圧や自由を奪うことを続けているのか、悲しく憤りを感じる。

どこか遠くから、地球を観察している生き物がいたら、
「人類、結局何がしたいんや」
と言って首をかしげていることだろう。
それくらいわたしたちは、同じことをずっと繰り返している。

だからこれからも油断ならない。
もし、わたしの身に非常事態がドカンとぶつかってきたら、弱っちいわたしは、
「一瞬で気絶したい」と思う、という詩を書いた。
それはつまり、逃れようのない状態ならば、もう一瞬でこの世界から遠のきたいということ。

しかし、それを考えたときに思った。

もしかして、
「わたしはどこかで気絶して、そして今ここで生きている」
なんてことがあるんじゃないだろうか。

一瞬のような1日、を重ねた、一瞬のような1週間。
それをさらに重ねた1年、そして一生。

日々は目まぐるしく過ぎて、自分の年齢に心は追いつけない。
けれど、この一瞬はどこかの世界で気絶していて、ほんのちょっと借りているような一瞬のような一生だとしたら。

まばたきを忘れるくらい、美しいものを見て。
まばたきを忘れるくらいに、夢中になって。
星のまたたきのような、1編の詩を書きたい。

それがだれかの心に届いたら。
本当に、奇跡のようだ。

だってわたしはどこかで気絶して、この世界にやって来て、
「一瞬いいですか?」
と言って、ここにいさせてもらっているのかもしれないのだから。

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