140文字では語れない魅了

先日、私の敬愛している黒木渚女史から新曲が発表された。

あえて発表日に聴くことにはしなかった。
「抑圧されて解放された瞬間が最も気持ちいい」
とあるライブで彼女の口から出たこの言葉は私の人生を狂おしいほど彩っている。今回も例外ではない。

他のファンが感想を続々と届けて行く中、私は堪えた。

そして、その時が来たのだ。
自分が持っている最高級のイヤホンを用意し、外音をシャットアウト。爆音で鳴らした。

「黒木渚だ」

それ以上でもそれ以外でもない。画面越しなはずなのに彼女はそこにいたのだ。

言葉を吐息を音楽を全てを支配してそこにいたのだ。

中原中也も夏目漱石も太宰治も通ってきた。
シェイクスピアも魯迅も谷崎潤一郎もなんなら彼女を真似してキルケゴールだって通ってきた。

しかしその言葉の紡ぎ方は出来なかった。
恐れ多くも文学を教える仕事をしているが、私は今回の感情を適切に表現できる語彙は持っていなかった。ただ「これは文学だ。これが文学だ。」と強く強く思った。

文学者とはこの世にごまんとある言葉をどう紡げるかで価値が決まると思っている。
誰かに予想されるような、真似されるような紡ぎ方をしていては真の文学者とは言えないだろう。
そう考えると彼女は、黒木渚は紛れもない文学者だ。

もちろん、音楽家でもある(というか本業だ)彼女の作るメロディーラインも素敵だ。
しかし、彼女の真髄はそこではない。膨大な語彙から適切にかつ大胆に選び抜いた言葉たちをつなげるセンスが飛び抜けているのだ。そしてこれこそが彼女の魅力なのだ。

タイパという言葉が飛び交う世の中だが、この楽曲こそ音楽をそして文学を感じられる至高の1曲だ。

神のように信じてはいけない。
これは黒木渚女史とも親交の深い日食なつこ氏の言葉であるが、例えファンであっても、大本命であっても狂信的になってはいけない。
それを念頭に置いたとしても、今回の新曲「死んだ文豪に恋をした」は素晴らしい楽曲だ。

ぜひ、文学を堪能していただきたい。

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