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岡真理先生と早尾貴紀先生の講演会に行ってきました。

6月29日(土)
 今日は千真さんの病院やらで朝からバタバタしたり、予定が潰れたりしていたのだけど、岡真理先生の講演会が午後から信濃町であると知り、ここんとこずっと『彼女の「正しい」名前とは何か』を読んで打ちのめされていたので、「これは行かねば!」と奮い立って急遽。また、今日の夜に新橋で早尾貴紀先生の講演会があるのは知っていたのだけど、丸木美術館に行くつもりだったから諦めていて「この前のお礼も伝えたいし※、ハシゴ出来るのでは…」と、半日お勉強詰め込みツアーになりました。結果、行ってよかった。

 岡真理先生の講演は『ガザとは何か』。信濃町駅前の真正会館というカトリック系団体の施設・主催にて開催。その名の通り、緊急出版された講演録『ガザとは何か』にあったような基本的な内容をおさらいしつつ、現在の状況も合わせてなぞり直して行くような感じ。
 印象に残ったお話は、ガザの画家の方(お名前は聞き取れず)が『第三世界のわれわれ展』という展示で来日された折、岡先生が通訳を務めたそうで、会話の中で「おいくつですか?」と聞いたら「7days」と言われて、自分のアラビア語がおかしかったのかと思って聞き直すと、やはり「7days」と。それは、日本にいる7日間の間だけ自分は人間として生きられたので、7daysなのだと。ということだったのでした。
 今も大半のガザの人は外に出ることができません。生まれてから一度も外に出たことがない人もたくさんいる。では、その人たちは人間として生きた時間は0daysなのか。恐らくそういうことになるのだと思いますが(だからこそ蜂起に追い込まれたとも言えるでしょう)、我々はそれを強いている側である。ということはいつでも忘れないでいたい。
 そして話は進み、岡先生の口調も熱と怒気をはらんで行きました。岡先生の専門分野と現地との近さを思えば当たり前といえば当たり前なのだけど、民族浄化としか言えない虐殺が今自分たちが生きているこの世界で起きている。それが許せないと怒ることは当たり前でしょう。専門家じゃなくても。自分と同世代やそれ以上の人たちにはほとんど見られない、この怒りを見て、私は嬉しくなったし、力づけられもした。だから、そこで終わらせないために(個人の学びのために誰かの不幸があるのではない)何ができるかこれからも考えて行きたい。
 その中で「平和学」の話も印象に残っていて、昔は「戦争がなくなれば平和」だと思われていたが、その「戦争」が今は「暴力」になっていると。その「暴力」と「平和」については以下のようなお話でした。

3種類の「暴力」
1.直接的な暴力 ←戦争がこれにあたる
2.構造的な暴力 ←差別、貧困など
3.文化的な暴力 ←1.2.を肯定するような思想
積極的な平和=構造的な暴力がない状態(人間であることを否定しない状態)

岡先生の話からメモしたもの

 2.が重要なんだ。ということと、3. に含まれる「無知・無反応」という文化的な暴力に私たちも加担している。ということを強く仰有られていました。
 「テロには屈しない」「暴力より言論を」「暴力ではなく非暴力」…もっともらしいスローガンは何かあるとよく出てきますが、テロやテロリスト認定をするのは誰か、圧倒的な暴力に晒され続けて来た人たちの投げた石は暴力にあたるのか、きれいで涼しい部屋からきれいごとを言いながら今同じ世界で起きているジェノサイドという圧倒的な暴力に対して加担をし続けているこの国はどうなのか。自分の内にもある「暴力」というものにもっとちゃんと向き合わなきゃいけないと思っています。
 岡先生も早尾先生も毎月どこかで講演会が催されているので、お近くである際は一度ご参加してみると良いと思います。講演録である「ガザとは何か」で語られていることも多いと思うので、まずはこちらからも。実はパレスチナのことよく知らない、今さら知っても、と思われる方もいるかも知れませんが、知れば知るほど、この日本にいる自分とも地続きなことも知るし、知られないままだとこんな事になってしまう、ということも知れると思います。

 で、ご飯を食べて新橋に移動し、早尾貴紀先生の講演会へ。こちらは「NPO法人都市無差別爆撃の原型・重慶大爆撃を語り継ぐ会」の総会での記念講演「AI時代の空爆ーイスラエルのガザ虐殺で何が起きているのか」。

 ウェビナー参加などでお話を聞くことは多々あったのですが、リアル登壇に参加するのは初めてでした。お話は、早尾先生の著書を読んでいる人にはお分かりであろう、「そもそも」の話から始まり、イスラエルと西洋諸国の利害が一致した「オスロ合意」から人道の名のもとに行われた「援助依存体制」化と政治的分断、そして国際法で認められている「抵抗権」がパレスチナの人々には認められず、「抵抗」は「テロ」にすり替えられてしまうこと。
 この辺は何度聞いても、その度にこの自分が住む日本もそれに加担してきたことを突きつけられるし、援助依存体制を作って自立できないようにすることは沖縄振興政策にも通じるな、とか発見もあるし、何度も何度も聞いて読んで刷り込むべきことだと思う(本当にすぐ忘れてしまうから)。
 それに加え、この講演では「AI兵器」についても時間が割かれ、911以降の「世界のイスラエル化と軍事産業化」についてのお話が続きました。パレスチナを実験室とした対「テロ」経験の蓄積と技術の商品化。そして、この今もやまないイスラエルの侵攻がドローンに加えてAIが本格的に使われたおそらく最初の戦争であること。
 イスラエルの建前上は、「テロリスト撲滅」なので、「誰がテロリストか調査していたら時間がかかる」→「スピードが追いつかない」という理屈のようですが、そもそも「ハマス」=「テロリスト」ではないし、「ハマス」と「市民」を分けるということも非常に危険(よって、潜伏していると言って建物ごと爆破し死者も増える)。
 そして、恐ろしいのは報道を目にした方もいるかも知れないけれども、虐殺しながら復興計画を発表していること。その地図にはパレスチナが存在していないこと。この絵を描いたのは疑いなくアメリカ、と早尾先生が仰言っていて、そうなんだろうなあと思いつつ、結局この「イスラエルと西側諸国の利害が一致」で動いていくことは強固で既定路線で変えられないのか、と無力感と絶望に襲われもするのだけど、かつてチリの軍部にCIAが資金と兵器を投入しクーデターを起こさせ新自由主義政権を誕生させたことと、イスラエルやアメリカがファタハに資金を投入し切り崩しや分断を図ったことがダブるけれども、それでもハマスや他の指導者層は連立することを諦めていなさそうだし、チリだってクーデターから50年が過ぎて今やまた民主化運動が強くなっている。人によって変えられてしまったものは人によって変えられるのだと思う。良くも悪くも。
 アメリカだけでなく、各国各地の連帯のアクションや大学生の連帯を見ていると左翼がどうの、という以前に、武力や経済力による強さがもう魅力を失っているのではないかと思うし、右か左か、保守かリベラルか、資本主義か社会主義か、とかではなくオルタナティブが必要なのではないか、と思う。そのために、そのそもそもの発端である「植民地主義」「家父長制」「人種差別」からの解放が謳われているのだと思う。やっとやっと、色々なことが繋がって腑に落ちた部分があるし、今は「何でそこがそれに繋がるの?」と思う人も、この日ハシゴした岡真理先生と早尾貴紀先生は毎月どこかで講演会をしているし、各誌に寄稿も寄せているし、お二人の著書も沢山出ているので是非ふれていただきたいし、今月末には両先生たちの共訳でサラ・ロイの「ホロコーストからガザへ」の続編、「なぜガザなのか」も緊急出版されます。
 これは山本浩貴先生もその連載や先月のスナック社会科でも仰言っていたことだけど、日本にいて日本語で書かれた書物で十分情報は得られる。どうか、どうか一人でも多く知って、自分とも地続きであることを知ってほしい(大体が「西洋諸国」と名指される時にG7の枠組みに入っており、未だアメリカの属国である日本も含まれる)。そして、知らなかったことをいつ知っても遅くはないし、それ自体は全く恥じることでは無いので私も知らんことばっかだし、遠慮せずどんどん一緒に学んでいこうと思うものの、もはや既にたくさんの命が失われすぎているし、何度も言うけど、私(たち)の学びのために他国の不幸や人々の死があるわけではない。そんなことをしないために、させないためにこそ学びがあるはずだと信じている。というか信じたい。

 行ってきた講演会のレポートと自分の気持が混ざってしまっていて、読みづらいと思うし、両先生のお話を曲げてしまう所があったらそれはひとえに私の至らなさによるものです。

 そして、行った翌日から書き始めて今日はもう7/14で、くっそくだらない争いに収束されてしまった都知事選も過ぎ(得たものもたくさんあったけど)、今朝はトランプ銃撃でまた新たな混乱と絶望の種が世界に撒かれたわけで、これから起きることやメディアが煽ることも予想がついて暗澹たる気持ちになるけど、この虚しさに負けないためには大きな流れに巻き込まれない、小さな軸を手放さないことだと思う。そのためにも勉強は効くなあ、と今さら思う日々でもあります。

 個別ばらばらにあちこちで、出来る時に出来ることをしながらとりあえず生き延びて行きましょう。ではまた。

※この前のお礼
先月のスナック社会科「応答と呼応ーー緊急寄稿を終えた山本浩貴さんにお話を聞く」の際に、山本先生の連載に対する早尾先生の応答をお手紙という形でお寄せいただいたことのお礼。


 



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