雑記 - ムツカシキコト
出来ることと出来ないことの境界を考えることがあります。出来ることはなんで出来るのか、その逆も然り。出来ないことはいつか出来るようになるのか。
こんばんは。
考える葦、りつです。
説明力の無さについて悩んでいます。
話したい言葉が頭に浮かんでこない。どんな順序で話せばいいかわからない。明日の報告会、何を話そう、、。こうした不安要素が原因で、私は説明から逃げの姿勢で生きてきました。
会議でも極力指名されないように立ち回る。意見が求められそうなときはあらかじめ質問を用意しておく(これを考えるのすら時間がかかる…)など。
そんな私にも上手く説明出来ることがあります。例えば自分の生い立ちや趣味など。自分についてだったらある程度順序立てて上手く説明できます。
この違いは何だろう、と考えてみます。
ある日、一つの結論が出ました。
私はもしかしたら「背景」について理解できていないのかもしれません。
そう思いついたきっかけは、私が何のために働いているか理解できていないと気づいたときです。なんのために私は会議に出ているのだろう。なんのために議事録を書いているのだろう。
……目指すゴールがあるからですよね。そして、そのゴールを設定した理由もあるはず。その会議のゴールは顧客拡大なのか、技術力強化なのか、業務効率化なのか。
そういった物事の背景を息をするように理解していく人が多すぎる。みんな立ち止まって私に教えてください。できれば、メモにして.txtでどこかに置いてください。
会社に一人、だるそうに仕事をするが後輩の面倒見がよく、無理なことはハッキリ無理と言えるタイプの中堅社員の方がいる。私は密かにその人を目標にしている。その先輩のように「もう勘弁してよ~」とか言いながら問題点対応をして、「無理だよ~」と言いながら結果を出したい。
それに対して今の私はと言うと…
限界だーーー!!!と叫びながら問題点対応をし、今日はここまでにするンゴ♪と言って全然進捗のないまま退社するのである。こんな私が数年後先輩のようになれているだろうか…。もしくはクビを切られて一人郷に帰り、細々と野菜を育てているのだろうか。
野菜を育てている世界線の場合、noteで野菜栽培のノウハウを発信します。
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以上、リーマンりつでした。
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