見出し画像

雑日記:『書くことだけはやめられない』

8〜9月舞台と朗読を上演する予定だった。しかし色々考えた結果延期することにした。12月に決まっていた舞台も延期になった。6月から現在にかけて書いていたもの・考えていたものは、現時点では正しい形で発表することは叶わなくなって、どうしたものかと思っている。(無観客の可能性もなくはないが、まだ保留中ではある)

見通しが甘かった、というのは事実だと思う。この状況下で演劇の脚本を書いても上演できるかどうかなんてわからなかったし。でも、書きたかった。僕のマインドは演劇で試したいことであふれていた。自分が作ってきた過去作と向き合い、新しい扉を開けるような予感があった。社会がこうならなかったら、存分に披露する予定だったのだが、まあこの現状は無視できないよなという心境に今は至っている。と言っても書いている間は冷静ではなかった。やりたいという気持ち、試したいという気持ちで書き続けてしまった。人と話して冷静になり思いとどまったというのが真実。情けない。

じゃあそれを知っていて演劇以外の脚本を書いたのか?と言われれば答えはNOだ。だって書きたかった。いま考えていること、今にしかできないことを出力したかったから。ひらめきやアイディアは燃えている時が旬だ。もちろん後になって使える時もあるけど、ワクワクが始まったら我慢せず文字に起こした方が絶対いいと思う。もともとコロナ禍になる前から、2月の朗読劇が終わったら、執筆だけの時間を取るつもりだった。自分にとっての舞台とは何かを探る予定だった。4〜5月は別件や生存確認を書いていたので、6月は前から戯曲は2本を書くと決めていた。その通りに実行した。まあでも上演はしばらくできそうにない。

無駄なことをしたとは思ってない。ただ、延期を重ねるごとに思う。この無力感との折り合いなんてきっとつけられない。受け止める努力はする。糧にもする。けど、おまえとずっと一緒にいるなんて御免だ。

別の企画を動かそうとは思っている。動いてままなっていないものもある。形にするとは思う。それはそれで楽しみではある。この文章を書いているのは、いまこの瞬間「演劇や朗読をリアルな場所でやりたかったんだ」という気持ちを忘れずに残しておくものだ。場所や空間に価値を見出すような作りでは、現状は太刀打ちできないんだ。頭の切り替えをしなくちゃならない。

頑固な自分には笑ってしまう。全然柔軟じゃない。インターネット社会とともに生きてきた世代なのに、webでのコミュニケーションはいまだに苦手だし、距離感が掴めない。対応していかなきゃダメですよ、進化しなきゃ、変わらなきゃダメですよ。もっと自分の作るものの本質を大事にして、形に拘っちゃダメですよ。そういうことなんだと思う。

まあでも、そんな人間だから演劇を選んだのかもしれない。離れてみて、ずっと気にしてなかったけど、あの稽古の日々が劇場が本番が僕の居場所だった思うのは、失ってから気づくというよくあるパターンで、とてもカッコ悪い。

書くことだけはやめない!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?