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雑日記:『再度マリみてに巡り合った夜』

百合という大きな流れのことを考える機会が多く、一旦源流に戻ってみようと深夜にマリみてのアニメをちょっと見てるんだけど、涙が止まらなくなっちゃった。なので勢いでこのnoteを書いている。

「なんでこんなに泣いてるんだ…?」と思ったんだけど、やっぱりこの世界観が好きなんだよなって。リアリティがあるわけじゃない、作り物の世界だ。言葉遣いも今ならありえないって思っちゃう。だけど、感情のやり取りも複雑で、生きていて、面白い。ありえなさもひっくるめて、ときめくんだ。

フィクションが好きだった。初めて泣いた映画は劇場版セーラームーンRで、フィオレもうさぎちゃんもみんな、他人事じゃなかった。バラの花のビジュアル、綺麗で、だけど明るい部分だけじゃない、人間の弱さや醜さも描かれていて、それが好きだった。人を純粋に思う気持ちが時に誰かを傷つけてしまうとかね。

リアルな言葉よりも、書き言葉が好きだったのは、デザインされているから。端的に刺さる。そういう鋭利さ。ポエムも好きだ。自分はそういうものに惹かれる。最近さ、久しぶりに「言葉が美しいね」って言われて、嬉しかった。自分の憧れて好きだったもの、少しは身についているのかなって思った。

リアルな言葉を勉強する機会が増えて、それは言葉の作りではなく、出力された声のためにあるんだと思った。譜面のようなもので、音楽的だなと感じる。

(そういえば6月に作った舞台の感想で知り合いに「音楽的」だって言われたっけ。書き言葉とリアルのあいのこ。どっちかに振り切れない故のバランスだったのかな。まあいいや)

色々あって心身疲労している状態で見たマリみては、救済の光に見えたよ。ああ、ここにあったな、光って。光ってあったかいんだな。そしてこんなに心を震わせるんだな。好きなものって最高だ。

好きがいつか消えてしまうって言う人はいるけど、それはどこかに好きが消えるって思ってるからで、消そうとしなければ、好きは続くよ。というか本当に好きなら、何度も巡り合って。また好きになるよ。今、再度マリみてに巡り合った自分が言うんだから間違いない。

置き場に困るくらい大きいBD-BOX買ってよかったよ。あのアルバムのような想いの塊が愛おしいんだ。

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