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ダサいのススメ

大森靖子と峯田和伸の『Re:Re:Love』という曲を聴いているので、そりゃあもう寝りゃしない夜となっています。

久しくこの曲は聴いていなかったんですが、なんでわざわざ夜にこんな曲を聴き出したのかというと、銀杏BOYZの『恋は永遠』という曲のライブを見ようとYouTubeを漁り始めたことに起因します。

検索欄に恋は永遠、といれて出てきた映像はライブ映像だけじゃなくて、様々な人達の弾き語り動画も出てきました。何故か今日はそっちに興味が吸われてしまって、再生回数が3桁もいかないような弾き語りの動画を見て回りました。

1つ目見たものは大学のサークルらしき発表の場で男の人がかっこよく(笑)上手く歌う『恋は永遠』でした。全然いいなって思えませんでした。

2つ目に見たのは、冴えないおじさんが謎のアレンジを加えまくった『恋は永遠』でした。すっごく意味がわからなくて、とっても好きでした。ニコニコしました。

3つ目に見たのは、顔出ししていない女の子が歌う『恋は永遠』でした。お世辞にも上手とはいえなくて、でも歌いたいという気持ちが伝わってきてすっごく好きでした。

ここまで見て、そう言えば生きるとか死ぬとか歌う、教育には絶対に良くない人と峯田和伸が歌ってたなと思い出して『Re:Re:Love』にたどり着いたわけです。

たしかにそうです。透き通るような声で歌うのはかっこいいし、弾き語りの良さを測る指標として、歌のうまさがあることも事実です。

しかしながら、僕の価値観は、以前より明らかに「ダサいもの」を好むようになっています。かっこいい歌のうまい弾き語りはいいとは思えませんでした。

これが何故かと言われると簡単に纏まった答えも出せないんですが、大まかにいえば、「かっこいいもの」なんて存在しなくて、まるでそれを存在しているかのように扱う人や物が信用できなくなっているからだと思います。

峯田和伸は「ダサい」の権化みたいなところがあります。だからこそ、ひとつひとつのメッセージが信用して受け取れる、素直に受け取れるのです。

弾き語りで下手な方がいいなんてことは大抵の場合ないんでしょうが、どんなに下手でも、どんなにおかしいアレンジが入っていても銀杏BOYZの曲では自分のやりたいようにやることが大事だと僕は思うのです。

これは絶対に弾き語りに限ったことじゃなくて、人にしてもそう、かっこいい人ないしかっこよくなりたい人に対して僕は斜に構えてしまいます。

「そんなの単なる逆張りだろ」「自分を異端だと思いたいだけだろ」と言われてしまえば、うまく言い返す術もないんです。でも、

そうして腹の奥を探らなくちゃいけないのは、あなたが他人の言動を素直に受け取れないからじゃないのか。それはさらに、他人の外面、すなわちかっこつけた姿に起因するんじゃないのか。他人の発言の真意をいちいち勘ぐらなくちゃいけないなんてめんどくさくないか、悲しくないか。

頭悪くていいし、身長低くていし、顔ぼろぼろでいいし、音痴でいいし、デブでいいし、汚くていい。

僕はダサい人が大好きです。どうにも生きているうちに社会にダサいと烙印を押されてしまうような人のことを、面白がれるだけの度量と先入観のない性格をもつ人間になりたいなと思います。

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