過渡期に際して

今年の夏はもう既に、とても良い夏だったことが確定しています。これはとてつもなくすごいことで、僕みたいな理系的、論理的思考から抜け出せない人間にとって、夏後半という未知を確定させられるくらい素晴らしかった夏前半だったということなのです。

この夏は、僕の価値観に大きな影響を与えました。それによって良いか悪いか価値観に変化が生まれていて、その変化について今のうちにまとめておこうと思います。

そもそも、今年の一年は僕にとってどんなものになるのかあまりにもわからないものでした。研究室でトラブルに遭い、精神を病んで休学した今年が始まり、求められているのは社会性、特に社会適合性だったように思います。

価値観に変化を与えたきっかけは大きく二つあります。

一つは大学時代の大部分を一緒に過ごしてきた彼女とお別れしたことでした。お互いの将来のことを考えると、という形でお別れしたのですが、ここで僕の物事に対する考えに変化が生まれました。

「考えすぎは良くないかもしれない」と若干ながら思うようになったのです。

ゲームで出会った27歳既婚男性の友達がいるのですが、この男は結婚生活について「俺は逆玉の輿だと思ったのに、今馬車馬のように働いている」と言いのけていて、それなのに口ぶりとは裏腹に当人は幸せそうだったりします。

18歳の頃の僕がその話を聞いていたら、「相手に対して失礼だ」とか、「そこまで考えなかった奴が悪いだろ」とか思っていたと思うんです。しかし、今の僕は「そこまで考えてなかったのに、実際に予想に反した状況であるのに、幸せそうだし別に良いのかも」と思います。

他者が関われば、他者に迷惑をかけたり傷つけたりすることは自分が傷つくことと同じくらい怖くて、物事を深くまで考えてしまう。しかしそれでも、少なくとも今までよりは、勢いや自分に重きを置いた思考ができている気がします。

単に楽観的、とも言えると思います。「まぁなんとかなるやろ」と思う範囲が広がったのです。悪く言えば、「無責任」かもしれません。

価値観の変化、「考えすぎは良くないかもしれない」と思えるようになったもう一つのきっかけは、この夏に出会った人たちとの関わりです。

この夏はいろんな人に会いました。新しくバイトを始めた先の人たち、ゲームで仲良くなった福岡のコミュニティ、高校時代の友達。誰と出会っても嫌な気持ちになることがありませんでした。

とても幸せな時間でした。これは、僕の社会に対する認識の180度逆の体験でした。医者によれば僕は、「コミュニティに迎え入れられる素質」を十分に持っているらしく、それが職場や研究室でも発揮できるらしいです。

みんなに会った経験は僕の自信に変わりつつあります。「どこにいっても仲良くなれる、うまくやっていける」そんなふうに楽観的に思えるようになってきています。

これを僕は手放しにいいことだと思っていません。この先社会にでて生きて行く、という観点ではこの変化を良く思えますが、人によってはもっと絶望に塗れた僕をもってして好んでくれていたような友人もいる気がします。

しかしながら、今の僕は変化を恐れません。環境の変化を、自分の変化を自由にさせて、後悔は後からしようと思います。

今年度中の変化はまだまだ留まらないように思います。まだまだ新しい自分への過渡期、今まで現れた変化はほんの序の口のように思います。

自分が楽観的になることによる不安は拭えませんが、それはそれで実際はわかることなので勢いよくやっていこうと思います。

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